静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

≪今月の福音書≫  ルカによる福音書21:5~19(特定28)
世の終わりの時
               牧師 司祭 シモン 長野 睦
 11月も半ばになろうとしています。今月の最後の主日には降臨節第1主日に入ります。今年もいよいよクリスマスを迎える準備の時に入ります。年の瀬というにはもう少しという感じがありますが、この季節はこれから気ぜわしい季節になります。私たちは心を引き締めながら主をお迎えする準備に入りたいと思います。
 この主日福音書には、主イエス様によって世の終わりの時のしるしや様子についての警告の言葉が記されていました。世の中の様々な不安な様相や出来事とは裏腹にエルサレムの神殿は見事な石と様々な奉納物で飾られている。そしてそれに対する人々の賞賛。イエス様はこのようなエルサレムの様子の中に神の御心とご計画を知らず、知ろうともしないで神殿を飾り立てている人々に対する憤りと嘆きを感じ取ることができます。直接的にはこの主イエス様の言葉はエルサレムの崩壊の予言ですが、これは実際に紀元70年に起こりました。しかし、人々と主イエス様の対話はこのようにエルサレムの神殿の崩壊だけではなく、さらに大きく世の終わりの預言にまで広げられていきます。
 当時のイスラエルはローマの支配の苦難の中にあって熱狂的な終末の期待が一部にあったといわれます。具体的な毎日の生活の中に、戦争、地震、疫病、飢饉などに直面していたら、早くこの苦しい世界が終わり、新しい世界が始まることに誰でも期待を寄せるのは当然のことかもしれません。そしてこれらの様々な現象が終末の予表として受けとめられていたのです。
 今日の私たちもこの福音書から遠く離れたところにいるのではないことに気づきます。主イエス様は終末の時は誰も知らない。御子であるご自身すら知らないとおっしゃっておられます。それは父なる神のみがご存じであり、神の救いのご計画が備えられていると教えられます。私たちは常に再臨のキリストを待ち望む緊張感を持ちながら日々を過ごしてまいりたいと思います。

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2016年10月9日~11月13日の予定

10月 9日(日)聖霊降臨後第21主日 10時15分、聖歌を歌う会。
         礼拝後、愛餐会。13時15分、婦人会。
   11日(火)10時、婦人会お仕事会。
   11日(火)~13日(木)横浜教区教役者会。伊豆北川
         (12日(水)の聖書を学ぶ会はお休みです。
   15日(土)10時、聖堂・会館掃除。
   16日(日)聖霊降臨後第22主日。礼拝後、愛餐会。バザー準備。
         会館に中古衣料を陳列します。その他献品の整理。
   18日(火)福音記者聖ルカ日。10時、聖餐式。19時、キリスト教勉強会。
   22日(土)10時、聖堂、会館掃除。10時、バザー準備。会場準備。
   23日(日)聖霊降臨後第23主日。11時~14時、バザー。
         聖餐式は7時30分と9時です。島田伝道所と合同礼拝になります。
   26日(水)10時、聖書を学ぶ会。教区婦人会役員会。沼津聖ヨハネ教会。
   28日(金)使徒聖シモン・聖ユダ日。10時、聖餐式
         10月の逝去者記念聖餐式も併せて行います。
   29日(土)10時、聖堂、会館掃除。
   30日(日)聖霊降臨後第24主日。午後、沓谷霊園掃除。
11月 1日(火)諸聖徒日。11時聖餐式。沓谷霊園墓参。
    3日(木)清水聖ヤコブ教会関係墓参。
    5日(土)10時、聖堂、会館掃除。
         19時30分、清水聖ヤコブ教会・教会委員会。
    6日(日)聖霊降臨後第25主日。礼拝後、児童祝福式(七・五・三)
         終了後、愛餐会。13時15分、教会委員会。
    9日(水)10時、聖書を学ぶ会。
   12日(土)10時聖堂、会館掃除。  
   13日(日)聖霊降臨後第26主日。礼拝後、愛餐会。13時15分、婦人会。

※ 司祭は毎月第1日曜日から第3日曜日は9時から清水聖ヤコブの聖餐式。第4日
曜日と5日曜日は静岡聖ペテロ教会と清水聖ヤコブ教会との静岡での合同礼拝。
  毎月第4日曜日は15時より島田の聖餐式に出かけます歩歩路(ポポロ)

❉10月の聖書を学ぶ会=マカバイ記5章から
❉10月のキリスト教勉強会=トビト記8章から

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聖書の言葉

≪今月の福音書≫  ルカによる福音書18:9~14(特定25)
ファリサイ派と徴税人    牧師 司祭 シモン 長野 睦
 聖書にファリサイ派と徴税人のたとえがよく出てまいります。すべてのファリサイ派の人々がこうであったとかすべての徴税人がこうであったとは言えないと思いますが、その対比によって主イエス様の教えようとされることが明確になるためによく用いられているのでしょう。
 これは二人の違いを通して祈りの本質を教えているものといえます。この徴税人の謙虚さは私たちの祈りにも欠くことのできないものです。人間は幼い日から死に至るまで、こうありたい、ああなってほしいと願い、祈ります。それは具体的言葉として祈りの言葉ではなくとも、私たちの願いや希望や求めは常に祈りの中にあります。
 この二人の祈りを改めてみてまいりましょう。ファリサイ派の人は感謝とともに自らの行為を並べ立てます。しかし徴税人は神の前で誇るべきことを並べ立てることは何一つできませんでした。かれは「罪びとの私を憐れんでください」という祈りしかできなかったのです。
 この二人の祈りを見て私たちの毎日の祈りはどちらの側の祈りでしょうか。確かに私たちも細かなことを別にすれば奪い取る者でも、不正な者でも、姦通を犯す者でもありません。そして何よりも祈りは神への感謝が第一であることを教えられ、その通りの祈りをしているものです。そうすると私たちの祈りも神から義とされない、神から認められない祈りなのでしょうか。けれども、このファリサイ派の人の祈りはわたしたちの祈りと何か違う、どこか違うという違和感を持ちます。
 繰り返しこのたとえを読んでいくうちに二つのことに気づきます。一つはこの人の祈りの内容です。この人の感謝は、神様からしていただいたことを感謝していません。そうではなくあれこれと自分の功績をあげて感謝しているのです。そしてもう一つはファリサイ派の人の視点、まなざしです。彼は神との関係よりもこの徴税人との比較の中で自分を高めています。相手との比較の中で自分を高め、相手を貶めています。これはもはや神への祈りではなく、自慢であり自己満足です。私たちも陥りやすいことかもしれません。この主イエス様のたとえを通して、改めて私たちの祈りを振り返りたいと思います。
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2016年9月11日~10月9日までの予定

9月11日(日)聖霊降臨後第17主日 10時15分、聖歌を歌う会。礼拝後、愛餐会。13時15分、婦人会。司祭:15時、島田伝道所聖餐式
  13日(火)10時、婦人会お仕事会。
  14日(水)司祭9時、司祭試験監督、横浜。聖書を学ぶ会はお休みです。
  17日(土)10時、聖堂・会館掃除。
  18日(日)聖霊降臨後第18主日。礼拝後、信徒総会。終了後、敬老祝会・愛餐会。
  20日(火)19時、キリスト教勉強会。
  21日(水)福音記者・使徒聖マタイ日。10時、聖餐式
  22日(木)司祭:ナザレ修女会。
  24日(土)10時、聖堂、会館掃除。
  25日(日)聖霊降臨後第19主日。10時15分、聖歌を歌う会。
  28日(水)10時、聖書を学ぶ会。教区婦人会役員会。沼津聖ヨハネ教会。
  29日(木)聖ミカエルおよび諸天使の日。10時、聖餐式
  30日(金)10時、9月逝去者記念聖餐式
   1日(土)司祭:19時30分、清水聖ヤコブ教会・教会委員会。
10月 2日(日)聖霊降臨後第20主日。日曜学校礼拝。愛餐会。教会委員会。
   8日(土)10時、聖堂、会館掃除。
   9日(日)聖霊降臨後第21主日。礼拝後、愛餐会。婦人会。


※ 司祭は毎月第1日曜日から第3日曜日は9時から清水聖ヤコブの聖餐式。第4日
曜日と5日曜日は静岡聖ペテロ教会と清水聖ヤコブ教会との静岡での合同礼拝。
  毎月第4日曜日は15時より島田の聖餐式に出かけます歩歩路(ポポロ)

❉9月の聖書を学ぶ会=マカバイ記5章から
❉9月のキリスト教勉強会=トビト記8章から
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今月の聖書

≪今月の福音書≫  ルカによる福音書16:19~(特定21)
金持ちとラザロ
              牧師 司祭 シモン 長野 睦

 これもよく知られた「金持ちとラザロ」の話です。主イエス様は富や財産、あるいは所有欲について多くの教えを残しておられますが、特にルカはこのことを多く記録しています。「山上の説教」(ルカでは「平地の説教」)でマタイでは「心の貧しい人々は、幸いである」というみ言葉に対して、ルカでは「あなた方貧しい人々は幸いである」とあり、より端的に「貧しさ」が祝福され、しかもそれに続いて富んでいる人々への警告が付け加えられています。
 さて「金持ちとラザロ」の話は三つの場面に分けることができると思いますが、その第一は現実のこの世の情景が描かれています。毎日贅沢に遊び暮らしている金持ちと貧しいラザロの様子が描かれます。犬でさえラザロに関心を示したのに金持ちは犬からさえも憐れみを学ばなかったのです。
 第二の場面は一転して死後の世界に変わります。ここでは金持ちとラザロの位置は生前と逆転しています。貧しさゆえに多くの苦しみを受けたラザロは天使たちによって宴席にいるアブラハムのもとに連れていかれます。ユダヤ人にとって死後の希望は神とともに宴会の席に着くことでした。アブラハムはユダヤ人の始祖です。この情景は最高の世界にいるということでしょう。金持ちは灼熱の中にあって一滴の水も与えられません。この話は来世はこのようになるから今の苦しみを我慢しなさいということではないでしょう。
 第三の場面はイエス様が強調したかったことです。この金持ちが自分の願いが聞き入れられないと、自分の兄弟たちにラザロによってことを伝えてほしいと懇願します。
しかしアブラハムは、兄弟たちにはモーセと預言者がいるといいます。「モーセと預言者」という言葉によって「律法と預言」すなわち聖書全体を表しているのです。聖書を読み、それを受け入れればラザロを遣わす必要はないというのです。
 これは私たちにも言われている言葉です。私たちの教会は小さく貧しいものですが全体としてみれば豊かです。私たちもこのみ言葉を心から受け止めたいと思います。

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