≪今月の福音書≫ ヨハネによる福音書15:1-8(復活節第6主日)
昇天日を迎える
牧師 司祭 シモン 長野 睦
復活日のあと、教会歴は足早にその歩みを進めます。復活節第6主日を迎えると、その週の木曜日が昇天日。そしてその10日後の主日が三位一体主日。それからは長い教会暦の後半の「聖霊降臨後」の期節に入ります。
今月選びました福音書は聖ヨハネの福音書の13章から始まる主イエス様の最後の晩餐における別れの説教の一部分です。主イエス様のお話の中には「私は~である」という特色ある表現がいくつか出てまいります。この前の福音書には「私は道であり、心理であり、命である」とありました。その前の福音書には「私は門である」私は羊の門である」とありました。「私はよい羊飼いである」ともありました。同じように主イエス様がご自身を表す表現として、ここでは「私はぶどうの木である」という表現が用いられております。「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である」と。
父なる神、主イエス・キリスト、そして人々=私たちの関係をパレスチナ地方でいたるところで栽培されている最も身近な植物、ぶどうの木に例えて話してくださっているのです。しかし、この神と主イエス・キリストと人々の関係が述べられたすぐ後に「私につながっていながら実を結ばない枝はみな父が取り除かれる。」と記されています。ぶどうの木を栽培するときに特に注意すべきことは剪定であり、入念な整備であるといわれています。ぶどうの剪定は実を結ぶ時期の終わりごろに行われ、冬は幹と少数の枝のみにしてしまうといわれます。徹底的に刈り込まれることによって生命を蓄え、良い実を結ぶようにするためでしょう。したがって、実のならない枝は切り捨てられ、実のなる枝は手厚く保護されます。
私は「まことのぶどうの木」という宣言に続いてこのような厳しい警告が発せられます。しかし主イエス様のみ言葉は厳しい警告だけで終わっているのではありません。直ぐそのあとに慰めと励ましの言葉が語られています。主イエス様のご昇天とはこの主イエス様が常に共におられるということです。
聖週間の礼拝と次主日礼拝について
2017年4月16日~5月23日の予定
教会暦・行事・集会
4月16日(日)復活日 礼拝後、愛餐会・祝会。島田伝道所と合同。
17日(月)~22日(土)復活後月曜日~復活後土曜日。10時、聖餐式。
この間、病床・家庭聖餐式。18日(火)のキリスト教勉強会はお休み
です。
22日(土)10時、聖堂、会館掃除。
23日(日)復活節第2主日。10時15分、聖歌を歌う会。
礼拝後、信徒逝去記念式。ギデオン協会来訪。証しと献金。
清水聖ヤコブ教会と合同礼拝。
25日(火)福音記者聖マルコ日。10時、聖餐式。
26日(水)10時、聖書を学ぶ会。
28日(金)10時、4月逝去者記念聖餐式。
29日(土)10時、聖堂、会館掃除。静岡県ホームミッション合同礼拝。
11時、浜松聖アンデレ教会。
30日(日)復活節第3主日。 清水聖ヤコブ教会と合同礼拝。
5月 1日(月)使徒聖ピリポ・聖ヤコブ日。10時、聖餐式。
6日(土)10時、聖堂、会館掃除。
7日(日)復活節第4主日。礼拝後、愛餐会。13時15分、教会委員会。婦人会。
バザー諸準。
9日(火)10時、婦人会お仕事会。
10日(木)10時、聖書を学ぶ会。
13日(土)10時、聖堂、会館掃除。司祭:清水聖ヤコブ教会・教会委員会。
14日(日)復活節第5主日。礼拝後、愛餐会、13時、ミニ・バザー。
島田伝道所と合同。
16日(火)19時、キリスト教勉強会。
20日(土)聖堂、会館掃除。
21日(日)復活節第6主日。礼拝後、愛餐会。
23日(火)~24日(水)教区婦人会大会。焼津、松風閣。
※司祭は毎月第1日曜日から第3日曜日は9時より清水聖ヤコブ教会の聖餐式。
第4日曜日と第5日曜日は静岡聖ペテロ教会で清水との合同礼拝となります。
原則として毎月第4日曜日は。15時より島田伝道所の聖餐式に出かけます。
(会場=ポポロ)
今月の聖書
≪今月の福音書≫ ヨハネによる福音書20:1-10(復活日)
復活日を迎えて
牧師 司祭 シモン 長野 睦
主イエス・キリストのご復活の日を迎えられましたこと共に感謝いたします。
主イエス・キリストの復活は私たちの信仰の中心です。私たちはこの主のご復活の生命によって生かされ、支えられています。共に感謝いたしましょう。
この福音書は聖ヨハネの福音書ですが、聖ヨハネによれば、マグダラのマリヤは日曜日の朝早く墓に向かいます。金曜日にあわただしく埋葬された主イエス様に会うためです。ユダヤ教のしきたりに従って、土曜日の安息日は何もすることができません。そのため、夜が明けるのを待ちかねて墓に向かいます。しかしそこで主のご遺体がなくなっているのを発見します。そして慌てて弟子たちの所に戻りそのことを告げます。
ペテロともう一人の弟子、おそらくヨハネでしょうが、この三人は主イエス様のご遺体がなくなっていることを確認し、弟子たちは家に帰ってしまいます。マリヤはそのまま墓に居続けました。墓の前に立って声をあげて泣き続けます。このマグダラのマリヤはガリラヤ湖の町マグダラの出身で七つの悪霊を追い出してもらったと他の福音書には記されています。
このマリヤはヨハネによる福音書によればたった一人で墓に来ます。それは生前の主イエス様への固執ということができるかもしれません。しかし、この固執、こだわりが復活の主イエス様の復活の顕現に出会うことを可能にしたということができるでしょう。マリヤの涙はこの顕現を通して癒され、新しい命を与えられました。
泣き続けたマリヤは復活の主との最初の出会いを与えられました。先に墓を覗き込んだ弟子たちは、泣きも立ち止まりもしなかった。弟子たちは主イエス様の遺体がなくなっているという現実に触れ、ただその事実を承認しそのことを受け入れただけでした。私たちも復活の主イエス様に固執し、こだわり続けていきたいと思います。
主のご復活の喜びを共に致しましょう。