静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

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マタイによる福音書 26章36節〜27章66節
    「イースターを前に−キレネ人シモンに学ぶ」
                    牧師 司祭 シモン 長野 睦

 いよいよ今年も遅いイースターが近づいてまいりました。今年は東北大震災もありイースターの慶びもそのままお祝いできない気分でもありますが、共にその復興のために祈りと援助をお捧げしたいと思います。
 今月選びました福音書は復活前主日のものですが、括弧の中を含めますと非常に長い箇所が選ばれております。この週の初め、ホサナ、ホサナという民衆の歓喜の中にエルサレムに入場された主イエス様は1週間もたたぬうちに十字架につけられ地上での最後の時を迎えます。福音書ではゲッセマネでの血のような汗を流された主イエス様、そしてユダに先導された人々による捕縛と連行、聖ペテロの裏切り、ポンテオ・ピラトによる尋問、十字架への磔と死、埋葬までが記されています。
 さて主イエス様は自らつけられる十字架の横木を背負って頭蓋骨の形に似ているためつけられた名称でしょうか、ゴルゴダと呼ばれる処刑場まで引き回されます。前夜からの厳しい尋問のためでしょうか、その疲労は十字架を担いで歩むだけの力は残されておりませんでした。途中、シモンというキレネ人がローマ兵によって無理に十字架を担がされます。シモンにとってこの出会いは迷惑なものだったかもしれません。しかし、この出会いが彼と彼の息子たちの救いへの出会いとなったのです。聖マルコによる福音書にはこの二人の息子の名前が記されています。初代教会では誰でも知っている名前だったのでしょう。
このシモンを見ながら私たちは自分自身のことを考えます。私たちはそれぞれ自分の十字架を負っているのだろうか、あるいは主イエス様の十字架の一端にでも触れているだろうか。確かに私たちは自分が望んでもいない十字架を無理に担わされている場合もあるかもしれません。しかしこのことも私たちに与えられた十字架であり、共に負っていくことによって大きな救いが約束されているかも知れないのです。共に復活日への黙想に励みたいと思います。

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※次回更新は、5月12日(木)頃の予定

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