今月の福音書
ヨハネによる福音書 15章1節〜
「わたしはまことのぶどうの木」
牧師 司祭 シモン 長野 睦
主イエス・キリストは十字架につけられ、三日目に御復活になってから40日に渡って弟子たちに現れ、さまざまなことを教えられました。そして、その後、使徒言行録によりますと、弟子たちの目の前で天に上っていかれたと記されています。このことを記念する昇天日をまもなく迎えます。
ヨハネによる福音書には「わたしは〜である」という特色のある表現がいくつか出てまいります。「私は道であり、真理であり、命である」、「わたしは門である」、「わたしはよい羊飼いである」ともあります。この箇所には「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である」とあります。父なる神、主イエス・キリスト、そして人々、わたしたちの関係をパレスチナ地方いたるところで栽培されているぶどうの木にたとえて話してくださっています。このすぐ後に「わたしにつながっていながら実を結ばない枝は、みな父が取り除かれる」と記されています。ぶどうの木を栽培するときに、特に注意することは剪定であると言われます。ぶどうの剪定は実を結ぶ次期の終わりごろに行われ、冬は幹とごく少数の枝のみにしてしまうと言われます。これは徹底的に刈り込むことによって生命を蓄え、よい実を結ぶようにするためでしょう。したがって身のならない枝は切り捨てられ、身のなる枝は手厚く保護されます。
「あなた方は枝である」と宣言される主イエス様は同時に「わたしにつながっていなさい」と呼びかけられます。本来独り立ちできない人間、幹と根に依存している存在に過ぎない私たちに私につながっていれば豊かに実を結ぶようになると語られているのです。私たちは根から吸い上げられた樹液のように神の愛が豊に注がれるときのみわたしたちは生かされるのです。私たちはこの主イエス様のみ言葉に感謝して意識して主イエス様につながる生活を心がけていきたいと思います。
※次回更新は、5月16日(木)頃の予定