静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL・FAX 054-246-8013日曜礼拝:早朝聖餐式 午前7時30分~、午前11時~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 11:00a.m Eucharist

今月の聖書

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マタイによる福音書 13章24節
    「教会の中の毒麦」

牧師 司祭 シモン 長野 睦

 たとえは主イエス様の教えを形作っている特徴的なものですが、たとえの一般的な用法、日常的な事柄を用いて分かりやすくすると言うのとは異なるようです。このたとえでも家の中に入って弟子たちが「たとえを説明して下さい」とお願いしているように、たとえそのものが分かりにくかったり、説明がなければ分からない事柄もしばしばです。それは弟子たちの理解する力が足りなかったと言うより、真理をあえてあからさまにしないという意図もあるようです。
 このたとえも「種まきのたとえ」と同じようにたとえそのものとたとえの解釈が記されています。このたとえでも福音の御言葉が成長し、発展するものとしてたとえられています。神の御言葉は植物の成長のようにわたしたちの知らないうちに成長し、多くの実を結びます。しかしこのたとえでは成長するのは神の御言葉だけではなく、毒麦つまり悪魔の業も同じように成長することが許されるということがたとえられています。「種まきのたとえ」では道端であったり、石地であったり、茨であったり伝道を妨げるいろいろな条件が記されていました。この箇所ではむしろ積極的な妨害を表す悪魔の業があるということです。それが具体的には何をさすかは決定しがたいことですが、初代教会から多くの妨害があったことでしょう。悪魔の仕業としてしか思えないようなことが教会の中にも入り込んできたものと思われます。今それを完全に始末しておかないと教会はどうなるのか不安になったことでしょう。
 キリストの体、神の国の先取りであるとされる教会の中にもいろいろな人がいます。時として教会の中から誤った教えである異端も生じてきます。今の時代に「毒麦」とは一体なんでしょうか。それが何であるにせよ、そのような毒麦は一刻も早く抜き取ってしまわねばならないとする性急な考え方を主イエス様は戒めておられるのかもしれません。物事を小さな視点ではなく、もっと大きく、もっと長く神の救いの歴史の中でとらえ、神様にその結末を委ねなさいということではないでしょうか。

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※次回更新は、7月14日(木)頃の予定

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