静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

マタイによる福音書 14章27節

「安心しなさい。恐れることはない」

              牧師 司祭 シモン 長野 睦

9月になりました。この秋も私たちは思いを新たにして励んでまいりたいと思います。
 マタイによる福音書の18章は弟子たちの人間関係に関するイエス様の教えが集められている部分です。この部分は特に「赦し」について教えられています。「赦し」ということは神様と人間、また人間同士の間で大変重要な事柄でありまして聖書にしばしば記されている事柄です。私たちは主の祈りを祈るたびごとに神様の赦しを願いますし、マタイの福音書6章では「あなた方が人々の過ちを赦すならば、あなた方の天の父も、あなた方の過ちを赦してくださるであろう」と教えられています。
しかし、私たちはこの赦しということを「赦さなければならない」という戒めとして、あるいは心理的、感傷的にとらえがちです。しかし、聖書の教え、イエス様の教えは「赦された」という体験、実感からはじまっていくことが多いようです。
第一の点は、「赦し」は神様が受け入れたもうと言うこと。「赦し」は人間の内側の感傷的な気持ちや行為ではなく先ず神様の赦しであり、私たちの側では神様の赦しに与るということです。わたしたち人間は赦されたという体験しか証しできないものです。もう一つの点は「赦し」は無制限であるということ。
聖ペテロからの「七回までですか」という質問は七回も赦せばもう十分と言う気持ちがあったことでしょう。特に七という数字は完全数としてユダヤ人が好んでいた数ですからこの回数によってイエス様の好意が得られると思ったかもしれません。しかしイエス様のみ言葉はさらにそれ以上のものがありました。
七の七十倍するまで。これは何回かと数えることをこえています。無制限に赦しなさいということです。そしてこのよう何の制限もない神様の赦しが私たちに与えられるとき、そこに悔い改めが生まれます。私たちがこのような神様の無限の赦しが与えられていることに改めて感謝しましょう。


※次回更新は、10月13日(木)頃の予定

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