マタイによる福音書 22章34節〜40節
「最も重要な掟」
牧師 司祭 シモン 長野 睦
ファリサイ派の人々は「先生、律法の中でどの掟が最も重要でしょうか」と尋ねます。質問としては一番基本的な大事な質問ですが、しかし彼らは「イエスを試そうとして尋ねた」とありますように最初から悪意を持ってこのような質問をしたことは明らかです。そもそも律法の中で何が第一であるかと言うことは、当時のユダヤ教の中でも問題となっていたことのようでした。
主イエス様は「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という申命記第6章の言葉を持って応えられました。
この言葉は当時のユダヤ人たちが朝夕二回唱えることが義務付けられ、本当に幼い時から教えられた旧約聖書の言葉でした。イエス様はこのように誰でも知っている基本的な教えを持って答えられたのです。大切なことは決して何か目新しいことではないことを教えられたのでしょう。わたしたちのすべてを尽くして神を愛するということは、何度教えられても、何度唱えたとしてもただそれだけでは生活の現実とはなりません。愛というものは命令されたり、強制されたりして出来るものではありません。愛は心の内側からあふれ出るものです。そしてそのような愛は愛された、愛されているという経験、体験があって、その応答として愛することが出来るのだと思います。ユダヤ人の長い歴史を通して神の愛が先ず最初にあったのです。
「第二も、これと同じように重要である『隣人を自分のように愛しなさい』」
神への愛に続いて隣人への愛が教えられます。ここでは神への愛が第一であり、隣人愛が第二であるとして一応の区別が建てられていながら同じように重要であることが教えられます。神への愛は隣人愛によって具体的に示され、隣人への愛は神への愛によって基礎付けられていると言えましょう。
私たちはこの二つの掟を改めて心に刻みながらそれぞれの務めに励んでまいりたいと思います。
※次回更新は、11月17日(木)頃の予定