≪今月の福音書≫ 聖マルコによる福音書~12:38~(特定27)
「レプタ二つの捧げ物」 牧師 司祭 シモン 長野 睦
今年も1年間最後の教会暦を迎えます。11月25日は聖霊降臨後最終主日となり、12月2日が降臨節第1主日です。今年もいろいろなことがありました。兄弟姉妹を神様のもとにお送りし、また喜ばしい聖婚の喜びもありました。全てのことを神様に感謝しながら教会暦の1年を締めくくりたいと思います。
この主日に選ばれている聖マルコの福音書では、このあと神殿崩壊の預言から終末予告、そしていよいよ十字架の道を進み、主イエス様の公生涯のしめくくりにあたる部分です。「この人は、自分の持っているものをすべて」入れたという貧しいやもめへの言葉はご自身の生き方を象徴するようです。
長い衣をまとい、広場で挨拶されること、宴会や会堂で上席に座ることを好み、有り余るものの中から多くの献金をする金持ちたち、彼らとの対比の中でレプタ二つを捧げる貧しいやもめを対比させています。
多くの人々が献金する中で、金持ちは多くのお金を献金していた。そこに一人の貧しいやもめがやってきます。夫に先立たれた婦人は当然生活資金にも事欠きますし、男性中心の社会では社会的権利からも見放される場合が多かったと想像できます。旧約聖書にやもめへの保護がしばしば訴えられているのは、それだけやもめが社会的におろそかにされていたことの証明でしょう。主イエス様の時代にもことは同様であったろうと推測できます。レプタ二つとは現代では100円にも満たない金額であったと思われます。
しかし、人はその貧しさゆえに神に認められるのではなく、富んでいるがゆえに認められないのでもありません。この貧しいやもめが主に賞賛されているのは、神の前における貧しさということではないでしょうか。神の前では全てを持ち得ない、何もないということが大事なことであってそのことが神の国を受け入れることができると思います。神の前では何も持ちえず、まさしく幼子のようなものこそが神に受け入れられると思うのです。
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