「神から委ねられたもの」
牧師 司祭 シモン 長野 睦
今年も主イエス様の御降誕と御再臨に備える降臨節を迎えました。毎年この季節、年末と新年の準備に備えるあわただしいときですが、クリスマスの準備と心の備えを黙想のうちにすごしていきたいと思います。
今月選びました箇所は、降臨節第4主日の福音書ですが、ガリラヤの町に住んでいたひとりの少女のもとに天使ガブリエルがマリヤに神の御子が宿ったことを告げます。当時のユダヤの世界でガリラヤのナザレに注目する人はひとりもありませんでした。そのような誰も注目しない一地方の町の少女の下に天使が御子の御降誕を告げます。ヨセフと婚約していたとは言ってもそれは当時のこと、早い時期に婚約者を決めておくのは当然の習慣であったのでしょう。
それから告げられた神の驚くべき使命は驚くべきことでした。彼女が恐れたのは無理もないことです。しかし、その使命は彼女が名もない平凡な少女であり、誇るべき何物を持っていなかったがゆえに、彼女に委ねられたことでした。
まだ結婚していない自分が身ごもるという、しかも神の子を身ごもるという、身分の低い自分が「何故」という不可解さに「恐れ」以外の反応はありません。しかしマリヤはこれを受け入れました。それは「主があなたとともにおられる」ということであり、「神にできないことは何一つない」ということだったと思います。これが「マリヤの賛歌」に結実していきます。神の意思を神の御心を受け入れるということは難しいことです。それが自分自身の思いをこえ、それに反することであったら余計です。しかし、わたしたちはこの神の御心を受け入れることが求められています。
クリスマスはこの神の御子の降誕を喜び祝うと共に、この神のご計画を受け止め、受け入れることを学ぶときでもあります。もちろんわたしたちはこのマリヤのように大きな使命はないかもしれませんが、たとえ小さなことであっても、それを受け止め応えていくように共に努めていきたいと思います。
※次回更新は、1月17日(木)頃の予定
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