静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

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≪今月の福音書≫   聖ヨハネによる福音書 6:4〜
  小さな捧げ物
                   牧師 司祭 シモン 長野 睦

 大斎節の修養にお励みのことと思います。今月取り上げた福音書は大斎節第4主日の福音書ですが、この給食の記事はすべての福音書に記されているので
初代教会でいかに大きな意味を持っていたかが分かります。このヨハネの福音書は共観福音書には記されていない記事があります。それは子供の差し出したわずかな食べ物を主イエス様が祝福されたということです。
 多くの群集が癒しを求めてでしょうか、教えを求めてでしょうか、主イエス様のもとに押し寄せます。しかしここでは癒しは行われませんし、教えの言葉も記されていません。ただ近づく群集を見て「この人たちに食べさせるにはどこでパンを買えばよいだろうか」と尋ねます。その数は男だけで5千人いたとありますから女性や子供を含めたら1万人を超えていたかもしれません。この数字を文字通り取るとしたら莫大なお金が必要ですし、たとえお金があったとしてもそれだけのパンは売っていないでしょう。ピリポは「めいめいが少しずつ食べるためにも200デナリオンのパンでも足りないでしょう」と応える。アンデレは大麦のパン五つと二匹の魚を持っている少年を紹介しますが彼も「けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう」と不可能な応答をします。ヨハネは「大麦の」と言う言葉を加えていますが、大麦のパンとは質素なパンを示していたと言われます。
 弟子たちはパンを持っていなかったのでしょうか。あるいは自分たちの食べる分は持っていたかもしれません。もしそうであったなら、早く群衆を解散させて自分たちの食事に取り掛かりたいとの気持ちも分かります。いずれにしても絶対に足りないという不足感、絶望感を持ったのは弟子たちであり主イエス様はそれを少ないとも、足りないともおっしゃってはいません。主イエス様はこのごくわずかな食物を祝福され、多くの人々の空腹を満たされました。
 この記事は合理的に考えるのは本当に難しいことですし、聖餐が先取りされているとも言われます。しかしいずれにしてもこの少年の小さな捧げ物をもって奇跡の業をなしてくださったことに私たちは深く考えさせられます。

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※次回更新は、4月12日(木)頃の予定

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