≪今月の福音書≫ 聖マルコによる福音書9:30〜(特定20)
一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ
牧師 司祭 シモン 長野 睦
非常な猛暑の夏でした。朝夕は少し涼しくなってきましたがまだまだ暑い日は続くと思われます。健康に気をつけながら毎日を過ごしていただきたいと思います。
この福音書の箇所は、合計3回記されている「受難予告」の2回目のところです。福音書を見ていきますと、弟子たちは最後までこの主イエス様の受難ということが分からなかったようです。この福音書でも「弟子たちはこの言葉が分からなかった。怖くて尋ねられなかった。」と記されています。主イエス様のみ心が分からないのは彼ら弟子たちだけではなく私たちとも重ね合わせられるようです。私たちがもしその場に居合わせたらきっとそんなことは言わなかったであろうとはとても言えません。
家についてから途中の弟子たちの議論の内容をイエス様は尋ねられました。弟子たちは答えられませんでした。それはそうでしょう。イエス様の受難予告のすぐ後で自分たちの中で誰が一番偉いかと論じ合っていたのですから。私たちもしばしば誰が一番かという他人との比較や順位争いの話題がいかに多いかと思わざるを得ません。それらは教会の中にも入っているようです。しかし教会の中ではこの世的、社会的な地位や立場などというものに捕らわれず、解放されて神様の下に自由でありたいものです。
主イエス様は一人の子どもの手を取って彼らの真ん中に立たせ、「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れるものは、わたしを受け入れるものである」そしてそれは父なる神を受け入れるのであると全く新しい価値を示されました。それは年齢的な幼さを超えた社会的な弱さをも示しているものと思われます。わたしたちの生き方にもこのような価値の転換が求められています。私たち自身が幼さや社会的弱さを持ちながら生かされていることに感謝しながら毎日の生活を送りたいと思います。
※次回更新は、10月18日(木)頃の予定
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