≪今月の福音書≫ マタイによる福音書 10:34~ (特定8)
わたしが来たのは・・平和ではなく剣をもたらすため
牧師 司祭 シモン 長野 睦
私たちは主イエス様の御言葉によって支えられ、養われ、生かされておりますが、時として私たちが歩もうとする道とは全く逆な表面的には躓きさえ覚える御言葉にも出会います。今月あげた福音書も表面的なことだけで受け止めてしまいますとその一つだと思います。
私たちが理解し、生きようとしているキリスト教の教えとは全く逆な印象を受けます。私たちは主イエス様を、神の愛を教え、実現してくださる方として、平和を実現してくださるお方として受け止め、私たちは力足りなくはあってもこのように生きようとしています。主イエス様は何よりもこの世に神の平和を実現してくださる方としてこの世に来たり給いました。聖パウロもその手紙の中で「平和の福音」、「和解の福音」ということを繰り返し述べています。
私たち日本の伝統、文化から言っても狭い範囲内に限定されることはあっても「和を持って尊しとなす」という格言にもありますように互いの対立を好まない傾向があります。集団の中で意見の対立を嫌い、満場一致を理想としています。しかしそれは話し合いや討論によって共通の意思を作り上げていくというより、自分の意思を抑えてどこで妥協していくかということに心を砕くことが多いようです。
今月の主イエス様の御言葉は、これから起こるであろう迫害の時代を先取りし、予告したものかもしれません。初代教会の迫害の時代にはキリストを信じるがゆえに迫害され、とらえられ、残忍な方法で殺されていきました。そこでは事実、家族が家族を裏切り、売り渡す行為も数多く記録に残されています。主イエス様はこのような状況を前もって弟子たちに教え、備えられたのかもしれません。
主イエス様はそれぞれの十字架を負ってわたしに従いなさい。と命じられます。家族の問題で言えば家族の無理解に耐えなければならない十字架もあるでしょう。いずれにしてもそれぞれ与えられた十字架を担い共に歩んで生きたいと思います。
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