静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL・FAX 054-246-8013日曜礼拝:早朝聖餐式 午前7時30分~、午前11時~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 11:00a.m Eucharist

今月の聖書

≪今月の福音書≫ ヨハネによる福音書12:20~ (大斎節第5主日
  一粒の麦
              牧師 司祭 シモン 長野 睦

 大斎節も半ばになり、4月5日には復活日を迎えます。私たちの黙想も主の御苦しみと十字架へと進めてまいりたいと思います。
 この福音書で何人かのギリシャ人が弟子たちを通して「お願いです。イエスにお目にかかりたいのです」との取次ぎを頼みます。新約聖書においてギリシャ人という言葉は、単に人種的、民族的な意味に用いられるだけでなく広くユダヤ人以外の諸民族、宗教的な意味における異邦人を指して用いられる言葉です。このことは主イエス様のご生涯の終わりに近づいたとき、イエス様の存在がユダヤ人のみでなく広く異邦人にも知られるようになったことを表しているのでありましょうし、このあと福音が広く異邦世界に伝えられていくことが前もって示されていると理解することができます。
 主イエス様は彼らに答えられました。「人の子が栄光を受けるときが来た。一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば、多くの実を結ぶ」。栄光とは旧約以来、人の名声とか地位とかを意味する言葉です。ユダヤ人のみではなくギリシャ人までもがイエス様に会いたいとやってきたのは、これから新しい世界が開けようとする躍進と栄光のときと弟子たちには映ったことでしょう。イエス様が「人の子が栄光を受けるときが来た」という宣言をされたのですから。しかし続けて語られたイエス様の言葉は「一粒の麦が地に落ちて死ななければ」というものでした。この言葉は弟子たちを初め人々を驚かせ、狼狽させたことでしょう。人々は「人の子」にこの世の勝利者を期待し、主イエス様は十字架による勝利者を宣言されたのです。
 華やかな脚光を浴びながら歴史上から消えていった偉人は数知れません。しかし人知れず、否、人々から見捨てられ、嘲られながら十字架の上に孤独な死を遂げながら、今も人々と歴史の中に生き続け、働いておられる事実はまさしく主イエス様こそが「一粒の麦」あったことを証ししています。そして主イエス様は私たちにも一粒の麦になるよう召し出しておられるのです。

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