静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

≪今月の福音書≫  ルカによる福音書16:19~(特定21)
金持ちとラザロ
              牧師 司祭 シモン 長野 睦

 これもよく知られた「金持ちとラザロ」の話です。主イエス様は富や財産、あるいは所有欲について多くの教えを残しておられますが、特にルカはこのことを多く記録しています。「山上の説教」(ルカでは「平地の説教」)でマタイでは「心の貧しい人々は、幸いである」というみ言葉に対して、ルカでは「あなた方貧しい人々は幸いである」とあり、より端的に「貧しさ」が祝福され、しかもそれに続いて富んでいる人々への警告が付け加えられています。
 さて「金持ちとラザロ」の話は三つの場面に分けることができると思いますが、その第一は現実のこの世の情景が描かれています。毎日贅沢に遊び暮らしている金持ちと貧しいラザロの様子が描かれます。犬でさえラザロに関心を示したのに金持ちは犬からさえも憐れみを学ばなかったのです。
 第二の場面は一転して死後の世界に変わります。ここでは金持ちとラザロの位置は生前と逆転しています。貧しさゆえに多くの苦しみを受けたラザロは天使たちによって宴席にいるアブラハムのもとに連れていかれます。ユダヤ人にとって死後の希望は神とともに宴会の席に着くことでした。アブラハムはユダヤ人の始祖です。この情景は最高の世界にいるということでしょう。金持ちは灼熱の中にあって一滴の水も与えられません。この話は来世はこのようになるから今の苦しみを我慢しなさいということではないでしょう。
 第三の場面はイエス様が強調したかったことです。この金持ちが自分の願いが聞き入れられないと、自分の兄弟たちにラザロによってことを伝えてほしいと懇願します。
しかしアブラハムは、兄弟たちにはモーセと預言者がいるといいます。「モーセと預言者」という言葉によって「律法と預言」すなわち聖書全体を表しているのです。聖書を読み、それを受け入れればラザロを遣わす必要はないというのです。
 これは私たちにも言われている言葉です。私たちの教会は小さく貧しいものですが全体としてみれば豊かです。私たちもこのみ言葉を心から受け止めたいと思います。

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