静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報「聖ペテロ」11月号 巻頭言

民無信不立(民、信無くんば立たず)

キリスト者の視点から〜

牧師 司祭 エドワード 宇津山 武志
最近大きな仕事がようやくひと段落したので、少しだけ開放感に浸りながら、書店でなんとなく目に止まった「論語」をちょとだけ“かじって”みました。もちろん漢文なんて読めませんから、解説付きのやさしい現代語版です。表題に掲げたのはその一つ。漢字だらけですが、入力ミスではありません。書き下すと、「民、信無くんば立たず。」となります。
弟子の子貢が孔子に政(まつりごと)について尋ねました。すると孔子はこう答えます。「政に必要なのは、第一に食生活の充実を図ること。第二に軍備を整えること。第三に民の信頼を得ること。」子貢はさらに問いました。この三つのうちで止むを得ず一つを諦めるとしたらどれか。孔子は即座に「兵だ」と答えます。子貢はさらに、もう一つ捨てるとすると問うと、こういう答えが返ってきました。「食料がなければ皆死に絶える。しかし、死はいずれ誰にでも訪れるもの。最も大事なのは信頼で、信頼がなければ全てが崩れ去ってしまう。」
これを読んでいて、「あなたの信仰があなたを救った」というイエスさまの癒しの物語が思い出されました。孔子が聞いたら、そういう意味で言ったのではないと怒られるでしょうが、ただ神の憐れみを信じて叫ぶ人に神は応え、癒される。そしてそれを通して人は立ち上がる。「民は、信仰によって立つ」のだなと。ここでいう「立つ」とは、単に立って歩き回ることではなく、神とつながること、神との関わりの中で、それを自覚して生き始めることと言い換えることができるでしょうか。
創造のはじめ、主なる神は土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れ、人は生きるものとなりました。今の営みのすべてが神を原動力としていることに気づくとき、今向ける眼差し、今語りかける言葉、今差し出す手、今踏み出す一歩の意味が一変します。イエスさまは言われます「立ち上がって、行きなさい。」喜びと感謝をもって行きましょう、主とともに

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