静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ1月号巻頭言

「水のこころ」
司祭 エドワード 宇津山 武志

水は つかめません 水は すくうのです
指をぴったりつけて そおっと 大切に──

水は つかめません 水は つつむのです
二つの手の中に そおっと 大切に──

水のこころも 人のこころも

おなじみの高田敏子さんの詩「水のこころ」。小学校5年生の国語の教科書に収められているそうですが、カトリック教会の塩田泉神父さまが曲をつけています。
聖書の民とわたしたちを隔てる壁には、時代・文化とともに気候風土の違いがあげられます。そしてまた、その気候風土の違いが文化の違いを作り上げている面もあるでしょう。聖書の中に登場する風物を通して、心の中に湧き上がるイメージが随分と違うように感じます。「雨」、「風」、「川」、「谷」、「泉」、「野原」、「闇」など…。
「水」もその中の一つです。日本は世界でも有数の良い水に恵まれた国の一つです。たまに雨不足で渇水が心配されますが、ごく一般的・日常的に水に困ることはほとんどありません。自然の中で、それはまるで神の恵みとでもいうくらいに、無尽蔵であるかのように高い所からやってきてくれます。文化的な生活を営む中では、必要な時にただ蛇口をひねるだけ。時に節水を心がけはしますが、それは水が大切だからというよりも多くは経済的な理由によるものです。
聖書の民にとって水は貴重品です。水のある場所にたどり着くために右に行くか左に行くかは、家畜ばかりでなく、自分の命すら左右します。旧約聖書には「○○の井戸」、「○○の泉」という言葉がよく出てきますが、井戸や泉を持つことは、その地域の支配権を手にすることと言ってもよいほどです。
このような水ですから、彼らは「そおっと 大切に 指をぴったりつけて」すくい、つつんだことでしょう…、一滴も無駄にしないように。わたしたちは違います。途中で七割くらいこぼれてしまっても、渇きが癒えるまで何度でも繰り返し口に運べばいいのですから。あまり手に入らないもの、貴重なものを大切に扱うことには、わたしたちは慣れていますし、自然にそうすることができます。しかし、当たり前のようにいつもわたしたちの身の回りにあるものを、粗末にするとまでは言わなくとも、いつしか大切にすることを忘れてしまうのです。
わたしたちのまわりにいつも当たり前のようにあるものとは何でしょう。そおっと大切に指をぴったりつけて「すくう」べきものを粗末に「つかもう」としてはいないでしょうか。自分自身の中で、人との関係において、神さまとの関係において、それぞれゆっくり、じっくり考えてみませんか。わたしたちが大切にすることを忘れてしまっているそれらのものこそ、実は神さまが「そおっと 大切に 指をぴったりつけて」わたしたちにくださっているものだと思うのです。

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