静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

実に、キリストはわたしたちの平和であります
司祭 エドワード 宇津山 武志

「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」(エフェソ2:14-16)

「平和」は、ヘブライ語(旧約)では「シャローム」、ギリシア語(新約)では「エイレーネー」です。特にシャロームはあいさつの言葉にもなっています。
聖書の中で「平和」はどのような意味を持っているでしょうか。旧約聖書のシャロームは、「完全で欠けたところがない状態」や「物事を完全な状態に戻す」という意味を持つ言葉と語根(起源)を同じくします。一般的にわたしたちが体験したり実感して享受したりする平和が、戦争の終わりから戦争の始まり、前の争いと次の争いの間の一時的・限定的なものであるのとは対照的です。つまり聖書における平和(シャローム)は、単に戦争のない平和な時代(期間・場所)を指すにとどまらず、人間が神との調和と一致のうちにあること、そしてそれを源泉として周りの世界や自然、人とも調和と一致のうちに生きることをも標榜しています。
わたしたちが「平和」という言葉を使うとき、「平和」が神と人との調和と一致を源流として流れ出るものだということを忘れてはなりません。調和と一致などと言わず、「和らぎ」や「和み」という言葉の方がやさしいでしょうか。「神との和らぎ」、それはわたしたちが神さまから注がれる慈しみにあふれたまなざしに、わたしたちのまなざしを向けるところから始まります。「このわたしにも目を注いでくださるのですか」と問うのです。光のさなかから差し出されるみ手にわたしたちの手を差し出すところから始まります。やさしく、力強く、わたしの手を握り、立ち上がらせてくださるみ手のぬくもりを感じるのです。
神さまとわたしたちの間を遮る深い淵、隔ての中垣、至聖所をわたしたちから遮る垂れ幕、天と地とを分ける天蓋を裂き、神さまとわたしたちの間に和らぎを回復してくださったのがイエス・キリスト、ことにその十字架の死と復活です。

主日ごとにわたしたちは「主の平和(シャローム)」のあいさつを交わします。神との和らぎを得たわたしが、神との和らぎを得たあなたと、その恵みを分かち合う、喜び合う。それが平和のあいさつです。イエスさまは欠けたところばかりのわたしを神のみもとに引き寄せ、あなたの帰るべき故郷はここだと呼んでくださいました。わたしをまことの命に招き入れるために、主は十字架の死をもいとわず、そしてよみがえってくださいました。イエスさまがご自身の命を十字架の上に差し出してくださることを通して与えられたこの神との和らぎのゆえに、その喜びをここで分かち合うのです。信仰者の群れが、喜びの知らせをこの世に届ける共同体へと変えられる第一歩がここにあります。
今日、わたしたちはご復活の主に、すべての人の平和を祈りましょう。すべての人が神との和らぎのうちに生きることができますように。ご復活日に主への深く大きな感謝とともに。

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