静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

神のものとして生きるいのち 
司祭 エドワード 宇津山 武志

「他力本願」という言葉を聞いてどのようなことを思い浮かべますか。もともと仏教用語だということはなんとなく知ってはいても、すぐにイメージされるのは「人の力を頼んで、自分の願いを叶える」、「ひとまかせ」などの否定的なものであることが多いのではないでしょうか。
他力本願とは浄土仏教において、その教えの根幹に関わる最も重要な言葉です。まず「他力」とは、他人の力でも、自然や社会からの恩恵でもない、そのいずれをも越えた広大無辺な阿弥陀如来の力のみを表わします。後半の「本願」とは、わたしたちの欲望を満たす自分本位な願いというのではなく、本当の願い、約束とも置き換えられるもの。阿弥陀如来の本当の願い―約束―、それは「迷っているすべての人の救い」です。

法然やその弟子親鸞によって説かれたこの他力本願の教えに、わたしたちはキリスト信者として慣れ親しんでいる教えに実に近いものを覚えます。わたしたちもまた、この世の一切の知恵と力とを越える神の愛の力に、弱きおのれを差し出し、そのお約束に身を委ねます。
「わたしはだれの死をも喜ばない。おまえたちは立ち帰って、生きよ」(エゼキエル18:32)
「まことに、主はイスラエルの家にこう言われる。わたしを求めよ、そして生きよ。」(アモス5:4)
わたしたちにとって、イエスさまこそ神のこの願い、愛―本願―の成就です。自分本位に自力に頼って生きるのではない、他力―神の力―のみを頼み、その愛と恵みによって生きる。自分のものとしての生でなく、神のものとしての生を生きる。好き勝手に浪費して終われば無に帰す命ではなく、神の愛をたたえ、喜びと感謝をもって生きる命、まことの命、永遠の命の希望に生きる。このとき、ベールに覆われおぼろげにしか見ることのできなかった「救い」をつぶさに見、わたしたちの心に深くしっかりと根をはり、美しい花を咲かせるに違いありません。
このうれしい知らせを携え、信仰の旅路を喜び歩んでまいりましょう。
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