静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

Peace begins with a smile.
〜平和は微笑みから〜

牧師 司祭 エドワード 宇津山 武志
8月3日、米国のショッピングモールで20人以上が犠牲となる銃乱射事件が起こりました。犯人は21歳の白人男性で、中南米からの移民(ヒスパニック)への憎悪に駆られての凶行とのこと。常軌を逸した犯罪の犠牲者と大切な家族を失った人びとに、み国の安息とみ助けを切に祈ります。
日本でもつい先日、一瞬にして70人近い死傷者を出した京都アニメーションへの放火事件があったばかりです。これも犯人の一方的に高じた憎悪が動機となったと報道されています。
「ヘイト・クライム」という、これまであまり聞いたことのない言葉によく接するようになりました。直訳すると「憎悪(に起因する)犯罪」です。もう少し詳しく知りたいと思い『ブリタニカ国際大百科事典』を調べました。「人種や民族,宗教など,特定の社会的集団への偏見や差別に動機づけられたいやがらせ,脅迫,物理的暴力。憎悪犯罪とも訳される。性的指向や精神的,肉体的な障害への差別に基づく犯罪を含めることもある。」とありました。3月にニュージーランドクライストチャーチで起こったモスク銃乱射事件や、3年前に日本で起こった相模原障害者施設殺傷事件などが思い出されます。ヘイト・クライムは世界的に猛烈な勢いで増加しているそうです。
「○○ファースト」はという言葉はもう少し前から耳にするようになりましたが、近年の世界的な潮流です。「まずは自分たち(の利益・繁栄)が第一」。そこで余剰が生じたら、そのおこぼれを“ガス抜き”のように外に向けるのでしょう。「結局それも自分のため」とは言い過ぎでしょうか…。普段わたしたちがなんとなくこうだろうと思い描いているクリスチャンのありようとはずいぶんと異なるようにも思われます。以前英国の友人から、「日本のキリスト教は、わたしの知っているキリスト教とはずいぶんと違う」という趣旨のことを言われました。依然多くのクリスチャンが日曜日には教会に行くアメリカや、日曜日に教会に行くことをやめてしまったヨーロッパといった「キリスト教国」の、これが一つの現実でもあるのでしょう。
「○○ファースト(自分第一主義)」と「ヘイト」はコインの裏表です。国家や宗教の指導者やグループのリーダーは、「自分第一」の目的を達成するため、あるいは求心力を保つため、また自分への批判のはけ口として、外に「敵」であったり「悪」というものを措定します。大きく強いものが小さく弱いものを「敵」とすることもありますし、反対に少数者・弱者が多数者・強者を「悪」に据えることもありますが、多くの場合、それらは実に一方的な論理によるものです。国家と国家、民族と民族、宗教と宗教、野党と与党、わたし(たち)とあいつ(ら)…。対立はありとあらゆる階層で常に生じ、止むことはありません。これを横の次元とするなら、縦の次元は同じ集団の中で生じます。進歩主義は過去と過去を背負った現在を「悪」とし、これから進む道が「善」、「暗い過去」を「明るい未来」に変えるために「負の遺産」は清算しなければならないと考えます。
こうした「善と悪」、「敵と味方」の二分法はとてもわかりやすく魅力的に映りますが、「倒すべき敵」・「変えるべき過去」からはもはや見(視・観・看・診)ることも聞(聴・訊)くこともできなくなってしまいます。こうしてキリストが十字架の上に身をささげることによってひとつとしてくださったものを、再び二つに切り裂いてしまうのです(エフェソ2:11-22)。平和への叫びが目を覆うような暴力に変貌するのをしばしば目にします。声高に平和を叫ぶ人の眼差しに恐怖を覚えることがあります。わたしたちは平和のために「叫び」ではなく「微笑み」を選びましょう。コルカタの聖テレサマザー・テレサ)はこうおっしゃいました。「平和は微笑みから始まります」。あなたは微笑んでいますか? 一日を振り返り、出会った人にどれだけの微笑みを届けましたか? わたしたちは、微笑みを通して、神の愛、主の平和をお届けする「平和の使徒」なのです。
今回の米国の事件を起こしたのは21歳のひとりの青年ですが、彼をそこに向かわせたのは、明らかに国家を指導する立場にある人の挑発的で扇動的な言葉です。わたしたちには彼ほどの絶大な力はありませんが、心の中に生じてくる思いをいつも聖霊の光の中に差し出し、しっかりと見究め、よくよく言葉を吟味し、「神の愛を伝える平和の器」としての召し出しに応えていくことができますように。


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