静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ2月号巻頭言

脱力

司祭 エドワード 宇津山 武志

五十代を迎えてから、二つの「脱力」について学びました。いや、今も学んでいる最中です。
一つ目は「発声」における脱力です。50歳になる年に大学院で学ぶ機会をいただきましたが、研究対象となる専門領域の他にもいろいろなことを学ぶチャンスとなりました。中でも、「声楽基礎演習」と「合唱・聖歌隊指導法」はとても楽しい時間でした。むかし合唱を習ったとき、口は大きく開け、舌は下に、喉は大きく深く。口の開き方で“ア・エ・イ・ウ・オ”の母音をはっきりと…などなど。そうすると、まあなんとなくオペラのような声が出ているような気がしますし、ぼそぼそ何をしゃべっているのかわからないよりはずいぶんと“マシ”になります。でも、ここで習ったのは正反対。オーバーに言うと、顎の関節から下は脱力、舌も脱力、肩も脱力。そうすることによって、外に出て行こうとする音の邪魔をしない、体が響きを生む楽器のようになる。自分ではガバッと口と喉を開けて力いっぱい出す声よりも薄っぺらく聞こえるかもしれないけれど、明らかに脱力した方が響いていますし、遠くへも届いています。喉への負担も少ないです。礼拝の司式ではこれを実践しようと努力しています。そう言えば昔よりも喉が枯れにくくなりました。
もう一つの脱力は、静岡に来て始めた「剣道」です。竹とはいえ刀ですし、重さもありますから、振ろうとすると力が入ります。早く振ろうと力が入り、強く打とうと力が入り、真っ直ぐきれいに打とうと力が入る。「充実した気勢」が大事と言われ、「イヤー!」と気合を入れて肩に力が入る。負けたくないと言う思いで拳に力が入る…。こうして心も体も力んでしまって全て逆効果。竹刀の自然な動きを妨げてしまうと注意されます。そう言えば、趣味で木工をするのですが、釘を打つときに“げんのう”を使いますね。力を入れるのは釘に当たるインパクトの瞬間だけです。ゴルフはしませんが、テニスにしろ野球にしろ、打球時にしっかりと握るように教えられます。六十ならぬ五十の手習。頭ではわかってもこれがなかなか難しい。日々修行中です。
信仰生活もこれに似ていると思いませんか?わたしたちの“力み”が神さまの働きを妨げてしまう。神さまのため、教会のため、福音宣教のためと、“がむしゃら”に何かをすると、うまくいかないことが多いのはこういうことなのでしょう。
さて、脱力の大切さについてお話ししましたが、歌うときも剣道をするときも、しっかり力を入れるように言われるところが一つだけあります。それが“臍下丹田(せいかたんでん)”、“下っ腹”です。ここにしっかり力を入れることによって、四肢であったり、横隔膜であったり、響きのある声を支え、俊敏でしなやかな体の動きを支えるのです。では信仰における臍下丹田とは何でしょう。それは神さまにしっかりとつながっていること。その上で様々な力みを取り去る。神さまにつながらないで脱力したら、クラゲのようにただふわふわと漂うだけになってしまいますもの。
大斎節、神さまにつながり、力みを取り去るように努めましょう。そこに神さまの業が現れます。主よ、わたしをあなたの器として用いてください。

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