静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

距離感
司祭 エドワード 宇津山 武志

昨日、久しぶりにエアコンをつけないで日中を過ごすことができました。日の暮れも早くなりました。夕べには窓からの涼しい風と虫の声。ようやく秋がやってきたのでしょうか。不思議なもので、昨日まであれほど憎らしかった日差しですが、洗濯物を干しながらポカポカと心地よく感じるのです。酷暑が熱中症を引き起こし、ときには人を死に至らしめるものですから、日差しがなければ人は生きられないということを忘れさせてしまうのでしょう。これもときに煩わしく感じる父や母、夫や妻といった家族、あの人にこの人、ついには神さまさえ…。でも、わたしたちには欠くことのできない大切な存在であるはずです。
大学時代の恩師から言われた言葉で、ときどきお話しするので、もしかしたら「またあのはなし?」という方がいたらお許しを。「幸せは大切だけど、幸せすぎるのはよくない。何故って神さまを忘れるから。不幸は自分に大切な変化、明日へのエネルギーにもなるけれど、不幸すぎてはいけない。何故って神さまを呪うから。」もう随分と昔のことですが、いつまでも心の海の深いところに残り、そしてときどき意識の中に浮かんできます。わたしたちを苦しめる暑さもそう、お日さまのせいにしますが、異論はあるものの、どうやら人間の営みが大きく関わっているようです。それでもやっぱりお日さまのせいにしておきたいのでしょうね。
わたしが子どもの頃、離れた人との唯一のコミュニケーションの手段は電話でした。それも黒くてダイヤルを回すやつです。しかも一家に一台、大概みんなが使いやすい今などに置かれていました。だから親に聞かれたくない話なんてできませんし、「これからお前ん家行っていい?」なんてものです。そのうちファックスができ、パソコン、携帯電話が普及しますが、まだ子どもの持ち物ではありませんでした。やがて安全のためと子供に携帯電話を持たせるのが当たり前になり、それが今ではスマホに変わりました。メールももう古く、ちょっとした連絡にはLINE、ほかにもTwitterとかInstagramで情報を発信しています。YouTubeで面白い動画を配信し、たくさんの人に再生して貰えばお金さえ手に入れられるようになりました。そこに加えてこのコロナ禍で仕事も学校もZOOMのようなオンラインシステムでできるようになってしまいました。
「お前は古いな」と言われようとも、オンラインで大学の使命は充分に果たすことはできないし、職人の眼差しや息遣いから吸収する熟練は決して継承されないと思います。その際たるものが育児です。たとえスーパーロボットが食事や排泄の世話をできるようになったとしても、やがて成長し生きていく力を育てることはできません。ある保育園での出来事。保育者が離乳食を口に運んでも、食べ方を覚えないというのです。保育者がマスクをしているからで、口の見えるシールドに変えたら口を動かして食べるようになったと。人間が生きていく上で、今は避けるように言われている《密》が不可欠です。命を守るために感染拡大の要因となる《密》を避けながら、命あるものに不可欠な《密》をどうつないでいくか。教会を超えて今私たちが取り組むべき課題です。

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