静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

日本聖公会第65(定期)総会に出席して
司祭 エドワード 宇津山 武志

わたくしは今回はじめて代議員として総会に出席しました。まだ駆け出しの頃に書記として一度関わる機会をいただいて以来、あの時感じ、その後心の片隅で埃をかぶっていた“なんともいえぬ違和感”が再び甦ってくるのを覚えました。

ある代議員が、沖縄の米軍基地問題に対する現状認識について質問をしました。この問いに報告者は、「(では)日本聖公会として米軍基地問題に関わりを持つことは望ましくないということでしょうか」と、質問を返すかたちで制しました。「我々の認識に疑問を挟むのは、沖縄の諸問題への無理解だ」と断じられているようでした。複雑な問題が絡み合う問題について生ずる素朴な問いかけは、さらにその後自説を開陳する呼水となってしまいました。このやりとりを聞いていて「ああ、これではもう質問できないな」、これが最初の違和感です。

次に、「宣教協働区」についての討論の中で、ある代議員が「いまだに女性司祭に反対する教区がある中で宣教協働は困難だ、こちらを先に解決すべき」という趣旨の発言をされました。日本聖公会は教区ごとに女性司祭についての賛否を明確にすることを求めていません。あるのは一人ひとりが賛成であったり反対であったり分からないであったりという、信仰的あるいは神学的な態度だけです。しかもその態度には強い信念もあれば迷いもあることでしょう。女性司祭の問題に限らず、世界の聖公会は様々な立場や考えの違いに苦しんでいます。それでも、それらの違いを超えて神の国の福音宣教のためにできることはあるはずで、そのために苦しみ祈りつつ一緒に歩むことを神は求めておられます。それがアングリカンの生き方です。「解決」とは何を意味するのだろう。多様性の豊かさを認め、小さな声に耳を傾け生きることを標榜する教会が、意見の違う人を一括りにして排除するのだろうか。これが二つ目の違和感です。

最後に主教会から提案された「伝道教区制」と「宣教協働区」について。聖職不足が深刻化し、各教区が主教を選出し、宣教に関わる働きを維持していくことが不可能になっていくとの危機感から、まずは三つの宣教協働区を設けて、その運営・宣教・牧会について積極的に取り組むということ、また主教を持たない「伝道教区」になって教区の再編または新設を促進し、将来的には十一ある教区を再編してその数を少なくするというもので、賛成多数によって可決しました。しかしわたしには、「複数の教区を一つにまとめて、どうしたらより丁寧な牧会、きめ細かな宣教が可能になるのか」との問いに、最後まで答えを見出せませんでした。
若い頃、教区は一つの生命体だと教わりました。今この生命体は命の危機に瀕しています。単に合併を前提とした「伝道教区制」の導入、現地の思いとは関係なくバランスの視点から決められた「宣教協働区」の導入は、「癌は治したけれど、命は救えなかった」という結果につながってしまうのではないかと危惧します。日本聖公会がもう一度、命の輝きを取り戻すためには、生命体を構成する一つ一つの細胞、臓器、すなわち聖職・信徒一人ひとり、そして教会に命の息を吹き込み、励まし元気を与えることに尽きます。わたしはこの召しを生き通したいと思います。
静岡聖ペテロ教会HPへ
facebook twitter