静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ6月号巻頭言

神は愛
司祭 エドワード 宇津山 武志

「神は愛」。クリスチャンでなくとも、多くの人がどこかで見たり聞いたりしたことのある聖書の言葉でしょう。神さまが愛に満ちたお方であるということは聖書に繰り返し記されていますが、さて、ではこの有名なみ言葉はどこに書かれたものでしょう? すぐに答えられた方は合格!? なんて意地悪は申しません。答えは「ヨハネの手紙一 4章16節」。「神は愛です。愛にとどまる人は、神の内にとどまってくださいます。」もう少し読み進めていくとこうも書かれています。「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」(18節)。
ときどき申しますが、長く幼児教育の現場で保護者に繰り返しお伝えしてきたのは、「子どもは愛されてはじめて愛するということを知り、愛することができるようになる」ということです。無償の愛、無条件の愛という言い方がありますが、一般的に(と書かなければならないのが残念ですが)、親は何か理由があって、あるいは見返りを求めて子を愛するのではありません。美であったり、知であったり、行動であったりに一定の基準を設けて、愛したり愛さなかったり、愛し方が増えたり減ったりするものではありません。もちろん親も人の子、カーッときたり腹に据えかねたりということもあるでしょうが、我が子に矢が飛んで来れば本能的に身を挺して守るのではないかなと思います。
子もそれを体験として学び、文字通り「三子の魂百まで」、心の奥深くに刻み込まれて消え去ることがありません。何かをし、何かを達成し、条件を満たして愛されるのではないということ、それを体験するのが家庭です。評価と褒賞は世の常。それはやりがいにもなりましょうが、疲れもするものです。家庭がもし評価と褒賞で成り立っていたら、わたしたちはどこにも休まるところがなくなり、安心できる自分の部屋に閉じこもるしかなくなってしまいます。
わたしもたまにやってしまいますが、「ご褒美」や「お駄賃」にはこうした危険があることを、わたしたちは知っておく必要があるでしょう。教会も同じです。「歳をとって何もできなくなってしまって」なんて言ってはいけません。教会は一義的に、神の愛にとどまる、それを喜び、安らぐところだからです。教会がそういう場所であることができるように、みんなができることを少しずつ、ちょっとだけ無理をして、神さまに差し出せば良いのです。忙しく働く世代には祈る時間があまりないかもしれませんから、何もできないなんて言わないで、そういう人たちの代わりにお祈りをしてください。
「愛には恐れがない。完全な愛は恐れを締め出します。」
ストレスの多いこの時代、愛なる神のふところに安らぎを見出し、そこにとどまることができますように。そして、わたしたちが「恐れを締め出した喜びを歌う神の家族」であることができますように。
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