静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ9月号巻頭言

父よ
司祭 エドワード 宇津山 武志
問題、「“神の子”とはだれですか?」。さて、皆さんはどのように答えますか?
「イエスさま!」正解です。「わたしたちです!」うーん、誤りではありませんが、テストだったら“△”ですね…。旧約時代から、「神と人」との関係を「父と子」という言葉で表現することはありました。ホセア書には「まだ幼かったイスラエルをわたしは愛した。エジプトから彼を呼び出し、わが子とした。」(11:1)とあります。その際、神の子である人には一定の範囲・制限がありました。
1旧約時代においてそれは「イスラエル」です。そのイスラエルにおいてさえ、神に反く人、律法を守らない人は、父との関係を絶たれてしまいます。イスラエルにとって、聖の極みであり、ヘブライ語YHWH」と表記される神の名(わたしたちはこれに母音を付加して“ヤハウェ”と読みます)を、畏れ多いとして、“アドナイ”というまったく別の発音をするほどです。わたしたちにとって、イエスさまは正真正銘“神の子”です。イエスさまはわたしたちにも、神を「父よ」と呼びかけて祈るように教えられました。これだけでも、当時のユダヤ教指導者を敵に回す驚くべきことです。日本語の構造上仕方のないことですが、「天におられるわたしたちの父よ」と呼ぶのと、多くの言語でそうであるように“OurFather”と呼ぶのとは、印象を随分と違ったものにしてしまいます。実際にお父さんに話しかける時を思い起こしてみましょう。「(ねえ、)お父さん」でしょう?「(ねえ、)なんでも言うこと聞いてくれるお父さん」なんて言いませんよね。
ここまで見てきたことから、わたしたちは(ちょっと乱暴な言いようですが)生まれながらにして神の子ではないということが分かります。換言すれば、信仰を通して創造主との父子関係に入れられるということ。ホセアによれば、神をイスラエルをエジプトから導き出した方と信じ受け入れることによって、イエスさまによれば、イエスさまを神の子・世の救い主として信じ受け入れることによって神の子とされる、言わば“養子”です。C・S・ルイスはこれを、本当の神の子である「キリストのふりをする」ことだと言っています。ここだけ切り出すと、なんだかひどい言いようだなと思われるかもしれませんが、これはわたしたちが、天の父なる神と完全に一致している神の子イエスのような存在ではないと自覚することだと言います。はなはだ足りない“わたし”が「キリストのふり」をして生き始める。それは「べし・べからず」集を片手に、うまくできたできなかったと肩を落としたり天狗になったりという生き方とは違います。わたしとまったく同じ人間であり、その父とまったく同じ神(の子)であるイエスご自身が、わたしのそばにいて、本当の神の子であるイエスさまのようには到底できない“見せかけのわたし”を“まことの神の子”に変え始めてくださっているのです。ルイスは「ブリキの兵隊を生きた人間に変え始めておられる」と言っています。
主は今もわたしのそばにいて、わたしのために一生懸命祈り働いてくださっています。「父よ」と祈る日々の生活の中で、この恵みに心を向けることができますように。

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