静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

エスのみ名によって
司祭 エドワード 宇津山 武志

復活節中の主日聖餐式では、旧約聖書に代えて使徒言行録が読まれます。使徒言行録は、『ルカによる福音書』を前編とする“ルカ文書”の後編で、前編の福音書がイエスさまの歩みの記録であるのに対して、後編はその名が示す通り使徒たちの歩みの記録です。前編に記される彼らの姿は、総じて危うさや迷い、時に愚かさを伴いました。一方、後編に描かれる彼らには揺るぎない信念と威厳をすら感じさせます。この決定的な転換をもたらしたのが“復活”に違いありませんが、それが魔法の杖のように一瞬で彼らを変身させたわけではありません。
エスさまのご受難と死によって、彼らの心は恐怖と後悔に支配されました。最後の晩餐の後、オリーブ山での主の捕縛によって彼らは散り散りになってしまいましたが、次の日、愛する主は惨たらしく処刑されてしまいました。その後彼らはひとところに集まっていました。ルカは詳細には記していませんが、きっと肩を寄せ合い、息を潜めて恐怖に打ち震えていたことでしょう。しかし仲間の婦人たちが彼らを驚かせました。墓に行ったのに主がおられない、復活なさったと天使が告げたというのです。そうこうしているうちにエマオに向かっていた別の二人の弟子も戻ってきました。やはり主は復活したというのです。するとどうでしょう。そこに主が来られたのです。彼らは喜んだのではなく怯えました。亡霊としか思えなかった。主は彼らを叱るのではなく、手と脇腹とを見せ、食事をともにし、心の目を開いて聖書を解き明かされました。こうして主は四十日にわたって彼らとともに過ごし、天に昇られ、聖霊をもって彼らをこの世に使徒として遣わされたのでした。
弟子たち、そしてわたしたちは、復活という奇跡そのものよりも、復活の主が恐れの中に、絶望の中にやってきてくださること、そして心に灯火を灯してくださることによって復活の証し人に変えられるのです。信仰は自分の努力でつかみ取るものではなく、開き受け入れることから始まるのだということなのでしょう。
エルサレム神殿の境内にある「美しの門」。そこで施しを乞うて命を繋いでいた足の不自由な男がいました。彼は祈るためにやってきたペトロとヨハネに施しを乞いました。ペトロは答えます。「わたしには金や銀はない」、しかし「持っているもの」がある、それを「あげよう」。何を持っていたのか。「ナザレの人、イエス・キリストの名」です。その名によって「立ち上がり」なさい、そして「歩きなさい」と。「名」というとピンと来ないかもしれませんが、その人の本質を表します。つまり「世の救い主、ナザレのイエス」によってという意味です。
希望の見出せないわたしたちに、主は固く閉ざした心を切り裂くようにやって来てくださる。その主を受け入れることによって、わたしたちは立ち上がり、歩き出すのです。
主とともに行きましょう!
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