静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ7月号巻頭言

教会 〜神に呼ばれた人々の集い〜
司祭 エドワード 宇津山 武志

このところ再び増加に転じていますが、今年2月をピークにおよそ半年かけて新型コロナウイルス感染症が沈静化するに伴って、教会ではさまざまなレベルで“対面形式”の集まりが回復してきました。2020年初頭のパンデミック以来、集まること、会うこと、触れ合うことに大きな制約を受けることになりましたが、この間にZOOMなど、最新技術を用いた新しいコミュニケーションが身近なものになりました。語弊はありますが、家に居ながらにして、距離を超えて言葉を交わすことができるようになり、会議のための長距離の移動の負担が減って“楽に”なった面もあります。一方、このところの対面によるプログラムの再開で、顔と顔を合わせること、膝を交えて互いの息遣いを感じながら意見を交わすことの大切さを改めて実感しています。
教会という言葉は、ギリシア語の“エクレーシア”に由来します。西洋史の授業を思い出してみましょう。古代ギリシア直接民主制を象徴する“民会”。市民がアゴラ(都市機能の中心としての広場)に集まって国家(都市)運営に必要な事柄を決める。民会と習ったように思いますが、“集会”とも。これがキリスト教の言葉になって“神に呼び集められた人々”、それが教会のそもそもの意味となりました。それが2年以上にわたって集まることに大きな制約を受けたのですから…。集いの回復後も、集まった人の顔の大部分を覆うマスクからの解放はまだ当分先になるでしょうか。でも、制約を数えて愚痴をこぼしてばかりでは始まりません。倦まず弛まず、ひとつひとつ積み重ねていきましょう。わたしは太平洋戦争によって大きな傷を負った教会の回復の歴史を知りません。戦争の悲惨な歴史を心に刻むこととともに、教会の歩みについて証言を聞けたらなと思います。
ロシアによるウクライナへの武力侵攻のニュースに衝撃を受けてから4ヶ月が過ぎました。今や「○○は陥落しロシア軍に制圧されました」、「○○ではウクライナが反撃に転じ奪還した」などの“戦況”報道に慣れ、そこで日々人の命が失われていくことを忘れそうになっている、関心が薄れていくことに気づき、自己嫌悪に陥ることもあります。あまり報じられることはありませんが、この戦争の背後に正教会の複雑な歴史が横たわってもいます。やがてこの戦争が終結し、平和への歩みが始まった後も、教会の亀裂、傷と痛みがどのように癒されていくことができるのか、わたしたちが具体的にできることは多くありませんが、“神に呼ばれ、同じ信仰に生きる人々”の一人として、人のこしらえた“教会組織”の理論、国家であるとか、思想であるとか、損得であるとか、そういう類のことが幅を利かせるこの世の知恵によらず、神の思いに謙虚に従う心を切に願い求めていきたいと思います。
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