≪今月の福音書≫ 聖ヨハネによる福音書 3:1〜
ニコデモとの対話
牧師 司祭 シモン 長野 睦
教会暦は聖霊降臨日の後、三位一体主日を迎えます。この後は「聖霊降臨後〜主日」という名称で主日が呼ばれます。教会暦は主イエス様の教えと行いを学ぶ、そのご生涯の後半を迎えることになります。
三位一体主日の福音書は聖ヨハネの福音書から、ユダヤ議会の議員であり、ファリサイ派のニコデモとの対話が記されています。このニコデモという人物は同じ聖ヨハネの福音書7章に「私たちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ裁くことをしないのではないか」と弁護しておりますし、19章では主イエス様の埋葬に際して没薬と沈香
を持ってきたとありますから、この後、主イエス様に敬意を持ち信仰に近いものを持ち続けたのではないかと想像されます。
このニコデモは理性的に物事を考えるタイプのようですので現代人と通じるものがあるのかもしれません。しかし、このニコデモと主イエス様の対話は全くかみ合っていません。それはどこに原因があるのでしょうか。それはニコデモは常識の世界に立ち、主イエス様は霊の世界に立っていた、その立場の違いが対話の誤解とすれちがいを生み出していたのかもしれません。
はじめに主イエス様が言おうとしていることは、自分の生活、考え方、物の見方を変えずに、神の国を見ることはできないということ。神の国を自分の生活に合わせることはできないということです。自分の生活を神の国にあわせることから始めなければ、決して神の国を見ることはできない。これが新しく生まれなければ神の国を見ることはできないということでしょう。ニコデモの考え方、生き方は確かにわたしたちのしてしまいがちな楽な方法です。自分の生活を変えずに神の国を見ようとする、しかしその中からは神と神の国を見ることはできません。非常に難しいことですが、このことを心にとめながら私たちの毎日の生活を過ごしていきたいと思います。
※次回更新は、6月14日(木)頃の予定
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