静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

闇から光を
司祭 エドワード 宇津山 武志

薄暗い聖堂の中で、聖所の電灯だけをつけて過ごす時間は、何とも心地よい最良の黙想と祈りのときです。ヨーロッパの教会は概して薄暗いものです。石造りの強度ということもありますが、窓の面積を大きくとることができません。その窓には聖書の場面を描いたステンドグラスがはめられ、外からの光はさらに和らげられます。最近は歳のせいでしょう。薄暗い中で聖書を読むことが辛くなってきました。ただ、このほの暗さというのは、様々な黙想の種を与えてくれます。
大学に入ってアパートで一人暮らしを始めました。英語を学ぶ中で欧米の文化にも触れ、ゆったりとしたリビングルームでランプの明かりの中でくつろぐ映画の一場面に憧れて、真似をしてみたり…。
さらに子どもの頃の記憶。夕暮れが迫ると、台所で食事の準備をする母が、「電気を点けて」と言います。暗い所で何かを読んだりテレビを見たりしていても、「目が悪くなる」と、明るくすることを促しました。「どうしてそんなに…」と聞くと、「戦時中を思い出す」との答えが返ってきます。その頃は裸電球の時代でしょう。空襲警報が鳴ると灯火管制で真っ暗闇って話も聞きました。だから、夜の明るさは平和と文明の証しでした。高度成長期の日本の多くの家庭が、夜も昼のように明るい蛍光灯に照らされて、夕食後の団らんを過ごしました。
聖堂のほの暗さは、わたしたちの生きる世界をよく表しているように思います。聖所からこぼれてくる明りによって、わたしたちは希望を失わずに毎日を生きているのです。聖堂の長椅子に座って、時には床にべったりと腰をおろし、まばゆい聖所に目を上げると、聖卓の上の聖書が明るく照らされています。神の言葉にこそ、わたしたちは光を見出します。
今わたしたちは、戦争や災害とはまた違う、いまだかつて経験したことのない、想像だにしなかった難しい疫病の時代を生きています。ワクチンができ、治療薬ができ、“なんてことはない風邪”になってしまうまで、不安の中を暗中模索しつつ進んでいかなければなりません。教会に限ったことではありませんが、出会い、集い、言葉を交わすことに制約を受けるというのは辛く、なかなか慣れるものではありません。ほんの半年前まで、わたしたちは出会う人の口元の微笑みに安心を覚えていましたが、今やそれは目の前で親しく話しかける人の口が覆われていないことへの不安にとって変わられようとしています。新しいウイルスは体以上に、人の心を蝕んでいるんじゃないだろうかとさえ思えもします。
この暗闇の中からこそ、わたしたちは神の言葉に光を見出したいと心から願っています。そして、その光を升の下に置くことなく、人々の前に輝かせなければならないと思います(マタイ5:15-16)。
灯火を手に出かけましょう。「行け…わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:19)という主のみ声が響きます。

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