静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

≪今月の福音書≫ マルコによる福音書6:1~6(特定9)
家  族         牧師 司祭 シモン 長野 睦
 主イエス・キリストは世の人々にとって弱い存在として見られていたということができるでありましょう。特に主ご自身を幼少のころから知っている人々にとっては、特にそうだったと推測できます。毎日、毎日の家庭生活や日常生活を知っている場合その人が特別に優れた人物であると尊敬することはとても難しいことです。特にそれが家族であればなおさらです。伝道の中で家族伝道が最も難しいとよく言われます。このようなことも大きな原因の一つとしてあるかもしれません。
 主イエス様は故郷のナザレで受け入れられなかったこの福音書の記事は三章の記事を思い起こさせます。そこでは主イエス様の真の家族とは誰かということが取り上げられていました。主イエス様の公生涯の活動が始まると主イエス様の家族は彼が発狂したのだと思い取り押さえに来たとあります。そのとき主イエス様はご自分の周囲の人々を見回しながら、神のみ心を行うものこそが主イエス様の兄弟、姉妹、また母なのだと宣言されました。主イエス様は五字分の家族を捨て弟子たちを始めとする神の御言葉を守り従う人々をご自分の家族とみなされたのであります。三章の記事が家族との、この箇所の記事は故郷ナザレの町との断絶を示しているといえます。弟子たちは主イエス様の反対者たちと対置されていますし、弟子たちが主イエス様に従うのと対照的に町の人々や親戚の人々は主イエス様の教えを聞き、その智恵と力ある業を見てかえってつまずきました。それによって彼らは主イエス様の教えと癒しの源である神の権威を否定したことになります。ここでは主イエス様は人々の不信仰に驚かれたと明白に記されています。
 主イエス様はフィリピの信徒への手紙に記されているように「キリストは神の身分でありながら、神と等しい者であることに固守しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。」わたしたちもこの主イエス様に従うことの中にそれぞれの信仰生活を深めてまいりたいと思います。
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