静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

今月の聖書

≪今月の福音書≫  ヨハネによる福音書15:1-8(復活節第6主日
昇天日を迎える
                     牧師 司祭 シモン 長野 睦
 復活日のあと、教会歴は足早にその歩みを進めます。復活節第6主日を迎えると、その週の木曜日が昇天日。そしてその10日後の主日が三位一体主日。それからは長い教会暦の後半の「聖霊降臨後」の期節に入ります。
 今月選びました福音書は聖ヨハネ福音書の13章から始まる主イエス様の最後の晩餐における別れの説教の一部分です。主イエス様のお話の中には「私は~である」という特色ある表現がいくつか出てまいります。この前の福音書には「私は道であり、心理であり、命である」とありました。その前の福音書には「私は門である」私は羊の門である」とありました。「私はよい羊飼いである」ともありました。同じように主イエス様がご自身を表す表現として、ここでは「私はぶどうの木である」という表現が用いられております。「私はまことのぶどうの木、私の父は農夫である」と。
 父なる神、主イエス・キリスト、そして人々=私たちの関係をパレスチナ地方でいたるところで栽培されている最も身近な植物、ぶどうの木に例えて話してくださっているのです。しかし、この神と主イエス・キリストと人々の関係が述べられたすぐ後に「私につながっていながら実を結ばない枝はみな父が取り除かれる。」と記されています。ぶどうの木を栽培するときに特に注意すべきことは剪定であり、入念な整備であるといわれています。ぶどうの剪定は実を結ぶ時期の終わりごろに行われ、冬は幹と少数の枝のみにしてしまうといわれます。徹底的に刈り込まれることによって生命を蓄え、良い実を結ぶようにするためでしょう。したがって、実のならない枝は切り捨てられ、実のなる枝は手厚く保護されます。
 私は「まことのぶどうの木」という宣言に続いてこのような厳しい警告が発せられます。しかし主イエス様のみ言葉は厳しい警告だけで終わっているのではありません。直ぐそのあとに慰めと励ましの言葉が語られています。主イエス様のご昇天とはこの主イエス様が常に共におられるということです。


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