静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL・FAX 054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

聖パウロの生涯に想いを寄せて

牧師 司祭 エドワード 宇津山 武志
聖都エルサレムから北西へおよそ90 キロ、西に地中海を望む古代遺跡「カイサリア」があります。紀元前3 世紀ころには「ストラトンの塔」と呼ばれるフェニキア人の小さな町でした。紀元前22 年から12 年かけてヘロデ大王はここを壮大な港町に改築、この町をローマ皇帝カイサルに敬意を表して「カイサリア」と命名したのです。その後およそ500 年にわたってここにローマの総督府が置かれ、ローマとの直行便が出入りする国際港となりました。古代オリンピックが行われた「戦車競技場」や、半円形劇場などを有する一大都市です。
今からおよそ二千年前の昔、この港からローマへ向けて一人の囚人が護送されていきました。熱心なキリスト教迫害者から異邦人伝道における最大の使徒の一人、聖パウロです。
彼は小アジア州タルソスの町に、純粋なユダヤ人として、また生まれながらのローマ市民として生を受けます。そこで彼はギリシア文化とユダヤ伝統の宗教的信仰、そしてローマ市民としての特権を享受して育ちます。若きパウロエルサレムに上り、当時の碩学ガマリエルに師事し最高水準の学問を身につけました。
彼の姿が初めてに聖書に目撃されるのは、ステパノの殉教のときです(使徒言行録8:1)。熱心なユダヤ教徒である彼にとって、神を冒涜していると思われたイエスとその弟子たちの所行は見過ごしにできなかったのです。彼はなおも迫害の手を緩めることはありませんでした。大祭司のお墨付きを手に、キリストの弟子たちを捕らえにダマスコへと向かっていたそのときのこと、天からの光が突然彼を襲います。視力を失い、地に倒れ伏した彼に天からの声が臨みます。「サウル、サウル、なぜわたしを迫害するのか。」パウロは尋ねます。「主よ、あなたはどなたですか。」その問いに天からの声はこう告げます。「わたしはおまえが迫害しているイエスである。」同行の者に伴われてやっとのことでダマスコにたどり着いた彼は、主の弟子アナニヤによってその目を癒されたのでした。このときを境に、パウロはキリストの伝道者へと変えられていったのです。パウロのこの豹変を、人々は驚き怪しみました。彼を直接目にした人々、伝え聞いたエルサレムの重鎮たち、そして仲間となったキリストの弟子たちも。
この彼のマイナスからの後半生の再スタート。わたしたちの想像を絶する幾多の困難に遭遇しながらも、バルナバをはじめとする多くの協力者を得、次第に大きな実を結んで行くことになります。キプロス小アジア、そして遠くギリシアに至るまで、多くの地にキリスト者の群れを築き上げていきました。
危機に瀕していたエルサレム教会を助けようと献金を募るために、かつて築いた各地の教会への再訪の旅にも出かけました。献金を携えエルサレムへと向かいますが、保守化してしまったエルサレム教会の人々に快くその献金を受け取ってもらえないばかりか、彼を殺そうとしていたユダヤ人たちとの間に起こった騒動によって、ローマ軍に保護され、カイサリアの地へと護送されていったのです。時のローマ総督フェリクスはやっかいな宗教問題に首をつっこみたくなかったのでしょうか、ほとんど何もせず二年間にわたってパウロをカイサリアに幽閉し続けました。助けに来たはずのエルサレム教会の兄弟たちに受け入れられず、自分を救うための何らの手だても講じられず、どのような思いでこれらの日々を過ごしたことでしょう。地中海の東の果てのこの町で、岸に打ち寄せる波と、どこまでも透き通った空を見上げ、この海の向こうにあるローマ、世界を支配する大帝国の首都へと思いは募っていったに違いありません。
彼のその願いは、自分への不当な扱いをローマ皇帝へ上告するという形で実現します。彼は囚人の身として憧れ続けたローマへと向かうことができたのです。しかしながらその航海もまた困難の連続です。クレタ島付近で暴風雨に見舞われ、十四日間にわたって漂流、幸いにもマルタ島に漂着した船は大破してしまいました。こうして彼はついにローマへとたどり着くことができたのです。
彼のローマでの生活は二年にわたったと言われています。その間外出することは許されませんでしたが、多くの人が彼のもとを訪ね、彼らに福音を告げ知らせました。この地でまた彼はペテロに再会します。そして彼らを襲った皇帝ネロのキリスト教大迫害によってペテロは逆さ十字架に、パウロは首をはねられて殉教したと伝えられています。
彼の伝道にささげた後半生、幾多の困難を乗り越え、多くの地に福音を告げ知らせ、また多くの書簡を残してキリスト教ユダヤ教の一分派から世界大の普遍宗教へと発展させる礎を築いた彼は、異邦人伝道最大の使徒と呼ばれています。しかしその後半生に彼が実際に味わったのは理解者や賞賛ではなく、むしろ無理解な人々と非難、迫害がほとんどだったと言っても過言ではありません。しかし今、彼のたどった町々には、彼を慕い、彼を偲ぶ多くの教会や遺跡が残されています。
その数奇な生涯、ある人はそれを愚かだと言い、ある人は偶然、ある人は運命ということでしょう。
しかしわたしたちはそこに奇跡とも言うべき神のみ力を感じずにはおられません。わたしたちの生涯もまたそんな奇跡の連続です。わたしたちがもしキリストに出会っていなかったら、そしてキリストとの出会いへと導いてくれたあの人がいなかったら…。わたしたちはパウロのような勇猛果敢な証し人にはほど遠いことでしょう。しかし、それでもなお、わたしたちは艱難を恐れず、賞賛を求めず、一歩一歩主の示された道を歩みつつ、主のみ光をともし続けて参りたいものです。


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