静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL・FAX 054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

一を聞いて十を知る 
司祭 エドワード 宇津山 武志

人に何かをお話して、そこから何かを学んでいただいたり、感じていただいたりという“職業”について随分と経つが、自分自身を振り返って、子供時代に先生から聞いたことを明確に覚えていることはあまりない(ゴメンナサイ!)。とはいえ、いくつかはっきりと心に刻まれ、今でも人生の立ち振る舞いの基礎になっているようなことも。「一を聞いて十を知る」はその一つ。これを聞いたのは小学生の頃だったろうか。出典が「論語」だと知ったのは随分立ってからだ。理解力であったり、聡明さであったりを意味するのだろうが、わたしはこの言葉に「察する力」の大切さを教えられた。ここからはわたしの解釈だが、「慮ること」、「思いやること」、「気遣うこと」の大切さに繋がっていくように思う。今流行りの言葉で言えば、あの悪名高き「忖度」である。しかし、会社勤めをしていた頃も、聖職になった今も、いま目の前にいるこの人が、何をどう感じているか、何を望んでいるのか、そのことを「一」を手掛かりにどのように感じ取り、そしてどのように行動するのかを大切にするように、自分自身心がけてきたし、後輩にもそのように教えてきたつもりなのだが…(どれだけできているかは別として)。
このようなことが苦手な人のことを、しばらく前は「空気が読めない」、さらに短く「 K Y 」などと言って揶揄していたのではなかろうか。ところが「忖度」がひとたび政権批判のことばとして用いられると、良からぬことの代名詞のようになってしまった。なんと浅はかなことよ。
「一」を見た・聞いた。それをしっかりと心の中に収めて思い巡らし、「十」を知る・感じる。この「十」に、イエスさまはどうなさるだろうかと再び祈りのうちに思い巡らせる。そして、イエスさまならきっとこうなさるだろうというところに、ちょっと気が進まぬ道であっても一歩踏み出そう。わたしには「いや」だなと思うことも、神さまには「よい」ことに違いない。いつか「よかった」と気づくこともあろう。いやいや、最後まで気づかなくとも、後の世で「ありがとう、ごくろうさん」と言っていただければそれでいいじゃないか。
忖度のどこが悪い。イエスさまの思いを精一杯忖度しよう。自分勝手な思いを捨てて、イエスさまの思いだけに生きることができるように。
(黙想ノートより)

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