静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL・FAX 054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

2019年8月11日~9月22日の予定

8月
11(日)聖霊降臨後第9主日(特定14)
 聖餐式(7:30・10:30)
 夏の集い
15(木)主の母聖マリヤ日 
 聖餐式(10:00)
18(日)聖霊降臨後第10主日(特定15)
 聖餐式(7:30)
 み言葉の礼拝(10:30)
司祭、清水聖ヤコブ教会聖餐式
(10:30)
20(火)キリスト教講座(19:00)
23(金)8月度逝去者記念聖餐式
(10:00)
24(土)使徒バルトロマイ
 聖餐式(10:00)
25(日)聖霊降臨後第11主日(特定16)
 聖餐式(7:30・10:30)

9月
1(日)聖霊降臨後第12主日(特定17)
 聖餐式(7:30・10:30)
 愛餐会・教会委員会(13:15)
8(日)聖霊降臨後第13主日(特定18)
 聖餐式(7:30・10:30)
 愛餐会・婦人会例会(13:00)
9(月)司祭、法憲法規委員会
「教礼組」組織部合同会議(管区事務所)
10(火)司祭、常置委員会(横浜)
14(土)司祭、召命黙想会(横浜)
※教区:会計担当委員協議会(横浜)
15(日)聖霊降臨後第14主日(特定19)
 聖餐式(7:30)
 み言葉の礼拝(10:30)
司祭、清水聖ヤコブ教会聖餐式
(10:30)
22(日)聖霊降臨後第15主日(特定20)
 聖餐式(7:30・10:30)
敬老愛餐会
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月報聖ペテロ巻頭言

Peace begins with a smile.
〜平和は微笑みから〜

牧師 司祭 エドワード 宇津山 武志
8月3日、米国のショッピングモールで20人以上が犠牲となる銃乱射事件が起こりました。犯人は21歳の白人男性で、中南米からの移民(ヒスパニック)への憎悪に駆られての凶行とのこと。常軌を逸した犯罪の犠牲者と大切な家族を失った人びとに、み国の安息とみ助けを切に祈ります。
日本でもつい先日、一瞬にして70人近い死傷者を出した京都アニメーションへの放火事件があったばかりです。これも犯人の一方的に高じた憎悪が動機となったと報道されています。
「ヘイト・クライム」という、これまであまり聞いたことのない言葉によく接するようになりました。直訳すると「憎悪(に起因する)犯罪」です。もう少し詳しく知りたいと思い『ブリタニカ国際大百科事典』を調べました。「人種や民族,宗教など,特定の社会的集団への偏見や差別に動機づけられたいやがらせ,脅迫,物理的暴力。憎悪犯罪とも訳される。性的指向や精神的,肉体的な障害への差別に基づく犯罪を含めることもある。」とありました。3月にニュージーランドクライストチャーチで起こったモスク銃乱射事件や、3年前に日本で起こった相模原障害者施設殺傷事件などが思い出されます。ヘイト・クライムは世界的に猛烈な勢いで増加しているそうです。
「○○ファースト」はという言葉はもう少し前から耳にするようになりましたが、近年の世界的な潮流です。「まずは自分たち(の利益・繁栄)が第一」。そこで余剰が生じたら、そのおこぼれを“ガス抜き”のように外に向けるのでしょう。「結局それも自分のため」とは言い過ぎでしょうか…。普段わたしたちがなんとなくこうだろうと思い描いているクリスチャンのありようとはずいぶんと異なるようにも思われます。以前英国の友人から、「日本のキリスト教は、わたしの知っているキリスト教とはずいぶんと違う」という趣旨のことを言われました。依然多くのクリスチャンが日曜日には教会に行くアメリカや、日曜日に教会に行くことをやめてしまったヨーロッパといった「キリスト教国」の、これが一つの現実でもあるのでしょう。
「○○ファースト(自分第一主義)」と「ヘイト」はコインの裏表です。国家や宗教の指導者やグループのリーダーは、「自分第一」の目的を達成するため、あるいは求心力を保つため、また自分への批判のはけ口として、外に「敵」であったり「悪」というものを措定します。大きく強いものが小さく弱いものを「敵」とすることもありますし、反対に少数者・弱者が多数者・強者を「悪」に据えることもありますが、多くの場合、それらは実に一方的な論理によるものです。国家と国家、民族と民族、宗教と宗教、野党と与党、わたし(たち)とあいつ(ら)…。対立はありとあらゆる階層で常に生じ、止むことはありません。これを横の次元とするなら、縦の次元は同じ集団の中で生じます。進歩主義は過去と過去を背負った現在を「悪」とし、これから進む道が「善」、「暗い過去」を「明るい未来」に変えるために「負の遺産」は清算しなければならないと考えます。
こうした「善と悪」、「敵と味方」の二分法はとてもわかりやすく魅力的に映りますが、「倒すべき敵」・「変えるべき過去」からはもはや見(視・観・看・診)ることも聞(聴・訊)くこともできなくなってしまいます。こうしてキリストが十字架の上に身をささげることによってひとつとしてくださったものを、再び二つに切り裂いてしまうのです(エフェソ2:11-22)。平和への叫びが目を覆うような暴力に変貌するのをしばしば目にします。声高に平和を叫ぶ人の眼差しに恐怖を覚えることがあります。わたしたちは平和のために「叫び」ではなく「微笑み」を選びましょう。コルカタの聖テレサマザー・テレサ)はこうおっしゃいました。「平和は微笑みから始まります」。あなたは微笑んでいますか? 一日を振り返り、出会った人にどれだけの微笑みを届けましたか? わたしたちは、微笑みを通して、神の愛、主の平和をお届けする「平和の使徒」なのです。
今回の米国の事件を起こしたのは21歳のひとりの青年ですが、彼をそこに向かわせたのは、明らかに国家を指導する立場にある人の挑発的で扇動的な言葉です。わたしたちには彼ほどの絶大な力はありませんが、心の中に生じてくる思いをいつも聖霊の光の中に差し出し、しっかりと見究め、よくよく言葉を吟味し、「神の愛を伝える平和の器」としての召し出しに応えていくことができますように。


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2019年7月21日~8月20日の

7月
21(日)聖霊降臨後第6主日(特定11)
 聖餐式(7:30)
・み言葉の礼拝(10:30)
司祭、清水聖ヤコブ教会聖餐式
  ・主教巡杖(10:30)
  ・愛餐会・教会委員会
22(月)マグダラの聖マリヤ日
 聖餐式(10:00)
25(木)使徒ヤコブ
 聖餐式(10:00)
26(金)7月度逝去者記念聖餐式
    (10:00)
27(土)聖堂・会館掃除(10:00)
28(日)聖霊降臨後第7主日(特定12)
 聖餐式(7:30・10:30)
31(水)(司祭、会議(管区事務所))
8月
1(木)(司祭、会議(茂原))
3(土)聖堂・会館掃除(10:00)
4(日)聖霊降臨後第8主日(特定13)
 聖餐式(7:30・10:30)
愛餐会・教会委員会(13:15)
6(火)主イエス変容の日
(都合により聖餐式はありません)
10(土)聖堂・会館掃除(10:00)
11(日)聖霊降臨後第9主日(特定13)
 聖餐式(7:30・10:30)
 夏の集い
12(月)山の日 振替休日
13(火)(司祭、常置委員会(横浜))
15(木)主の母聖マリヤ日
 聖餐式(10:00)
17(土)聖堂・会館掃除(10:00)
18(日)聖霊降臨後第10主日(特定14)
 聖餐式(7:30)
・み言葉の礼拝(10:30)
司祭、清水聖ヤコブ教会 聖餐式
20(火)キリスト教講座(19:00)

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月報聖ペテロ巻頭言

あなたの富のあるところに 
司祭 エドワード 宇津山 武志

「散財」という言葉がある。実は大人になるまでほとんど聞いたことがなかった。まあ、だいたい意味はわかるのだが、辞書を引くと「不必要な金銭を使うこと。」とある。自分自身というよりも相手に対して「とんだ散財をおかけして…」などと使うことが多い。お詫びのニュアンスを込めたお礼の言葉といおうか。ただ、初めて聞いたときも今も、この言葉があまり好きではない。
繰り返しになるが、「散財」の「財」はお金。お金を不必要なことに使ってしまう。浪費する。だから「散らす」のだ。自分がそのように言われたとき、例えば誰かと一緒に食事をする、その費用を負担する。そのときにわたしは「散財」したとは思わない。だってあなたとこうして美味しいものをいただき、楽しい会話をし、何ものにも変えがたい貴重な一時を過ごしたんだから。財を散らしたのでなく、財を得たのだと…。まあ、それをわたしが祇園でやったらまぎれもない散財だろうけど。

エスさまは言われました。「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」(マタイ6:19-21)
エスさまは、地上のものに価値を置くのではなく、天上のものに価値を置くようにとお命じになりました。ですから、先ほどのわたしの例で言えば、そうして得た友との親しさは裏切られて無に帰することだってありますから、イエスさまのご本意とは違うのでしょうね。無に帰することのないものに価値を置けと。そういえば、昔、牧師時代の遠藤主教さまにたくさん美味しいものをご馳走になって「散財」させましたが、まあ、いまこうして司祭として生きていますから、これはぎりぎりセーフということにしておきましょう。主教さん、あれは散財ではありませんよ!あちらで「いやぁ、散財だったね〜」と言われないように気をつけます。

「富のあるところに、あなたの心もある」これは本当に恐ろしいご指摘です。富とすべきでないところに心を釘付けにされると、本当に富とすべきところにもはや心が無くなってしまうのです。「執着」というのは、自分がそこに釘付けになっていることに気付くことさえ困難です。大事にしていた鉢植え、どうも育ちが悪い、花が咲かない。水も肥料もやってるのに…。そうだ、鉢を替えてみよう。すると根の周りの土がカチカチだったなんてご経験はありませんか?これじゃあ育つわけないなぁ。そんなふうに納得します。わたしたちもまた、自分自身を神さまに差し出し、小さく固まってしまった根っこを解(ほぐ)し、執着から解き放っていただきましょう。そうしたらきっと、きれいな花が咲き、実を結びます。


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