≪今月の福音書≫ ヘブライ人への手紙 11:1~ 特定14使徒書
望んでいる事柄
牧師 司祭 シモン 長野 睦
毎日異常に暑い日が続いています。どうぞお体に留意しながら毎日をお過ごしいただきたいと思います。
ヘブライ人への手紙には「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。」と記されています。そしてアブラハムを例に引いてそのことを証明しています。信仰とはまだ目に見ていないこと、望んでいる事柄を確認することであるとありました。私たちの望んでいることとは何でしょうか。まだ目には見ていないこと、手に入れてはいないこととは何でしょうか。私たちは身近な、ささやかな望みは数え切れないほど持っているかもしれません。生活の安定でしょうか。子どもの将来ということでしょうか。健康でしょうか。老後の生活のことでしょうか。このような日常的なささやかな事柄は信仰的ではないと自ら押さえつける必要はありません。ささやかな毎日毎日の望みと希望を神に願い、請い求めること、希望として持ち続けることも信仰的な希望であり、願いであると思います。
しかし信仰においてこれらはもっと高められていくものと思います。私たちの洗礼堅信準備のテキストとして、また常に身につけるべき教えとして祈祷書には『教会問答』が載せられています。一番最後の質問は「キリスト者の希望は何ですか」というもので、その答えとして記されているのは「すでに始められ、キリストの再臨によって完成される神の国です」とあります。神の国とは漠然として分かりにくいことですが、主イエス・キリストの宣教の最初の言葉は聖マルコの福音書によれば「時は満ちた。神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ」というものでした。神の国とは、神の力が満ち満ちていることであると思います。私たちは最終的には満ち満ちている神の力に全てをゆだねるということでしょう。私たちのささやかな願いも、その最後の結果は神にゆだねていきたいと思います。私たちは全てを委ねることにより、より多くのものを神から与えていただくことを確信いたしましょう。