静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

大斎節の黙想〈Ⅰ〉

大斎節の
ヘブライ人への手紙11章より 〜
「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです。…信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」(11:1,3)
ヘブライ人への手紙」の由来について、だれがだれに宛てて書いたものなのか、実はほとんどわかっていません。諸説ありますので“おそらく”という前置き付きですが、研究者たちは本文で取り上げられていることがらを手がかりに、旧約聖書に精通するユダヤ教からの改修者で、改宗したのだけれど、ユダヤ教的な信仰のありようからもう一歩踏み出しきれずに(訣別できずに)、揺れ動いている人たちではなかろうかと言われています。そのような人たちに向かって、11章では旧約聖書の登場人物を例示して「信仰とは何か」を説いています。
「信仰によって、ノアはまだ見ていない事柄について神のお告げを受けたとき、恐れかしこみながら、自分の家族を救うために箱舟を造り…」(7節)。わたしたちは明日から突然船を造り始めるでしょうか。海や川から離れたところで突然大きな船を作り出す人を見た人は、彼を何と思うでしょう。
「信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に出て行くように召し出されると、これに服従し、行き先も知らずに出発したのです」(8節)。アブラハムは年老いていました。多くの羊を飼い、羊の世話をする雇い人もいました。彼は豊かに暮らしていたのです。わたしたちはその場所、その生活を手放して旅立つことができるでしょうか。そうする彼を見て、人々はどう思うでしょう。
目に見えるものは、わたしたちに船を作る必要も、今ある生活を手放す必要も示しません。誰の目にも“愚か”な決断でしょう。しかし、目に見えるものは、目に見えない神が創造し、支え、保ち、治めているのです。
父と早く死に別れたロトは、叔父であるアブラハムと一緒に暮らしていました。彼らはカナンの地で遊牧生活を営んでいましたが、群れが大きくなりすぎたために、別々に暮らすことになりました。アブラハムはロトに、好きな方を選ぶように勧めました。ロトは見るからに豊かな地を選び、アブラハムは見劣りのする方へと進みました。ロトが選んだのはソドムという町、豊かさゆえか、人々の心は荒んでいました。やがて神さまはソドムの町を滅ぼすことになさるのですが、その際、アブラハムに命じてロトたちを助け出します。しかし、「後ろを振り返ってはならない」という神さまのご命令に反して、ロトの妻は逃げるときに振り返ってしまうのです。彼女はそこで“塩の柱”になってしまいました。そこを逃れて生きよという神さまのご命令の先にある丘の上への希望が、ひどい目にもあったけれど豊かさを享受したソドムの町への未練が優ってしまったのです。
わたしたちは“目には見えない方”の“約束”を信じ生きています(あるいは、そのように努めています)。それは、丘で船を造る愚かさ、豊かさと安定を放り出す愚かさを生きることでもあります。
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「いちばんたいせつなことは、目に見えない」おそらく知らない人はいない、サン=テグジュペリ作『星の王子さま』の中でも最も有名な言葉です。わたしにとっては“第二の聖書”のようにたくさんのインスピレーションを与えてくれる物語です。「目に見えないけれど大切なものは、神さま」と、簡単に解決してしまわずに、じっくりと思いを深めてみましょう。「わたしの目と心を奪うもの」、「わたしが大切だと譲れないもの」が何かを問うていくことも、ほんとうに大切なものを見出していくための大きな力になるはずです。