マタイによる福音書 14章27節
「安心しなさい。恐れることはない」
牧師 司祭 シモン 長野 睦
この福音書は、5千人の給食のすぐ後の部分です。「弟子たちを強いて舟に乗り込ませ、向こう岸へ先に行かせ」とありました。主イエス様はお独りになりたかったのだろうと推測できます。
群衆を解散させた後、主イエス様は祈るためにひとり山に登られました。福音書の中には祈っておられる主イエス様のお姿がしばしば出てまいります。常に祈りのうちに日々をお過ごしになられたのでしょう。この部分から祈りの内容を知ることは出来ません。夕方になってもただ一人そこにおられたというイエス様の祈りは長い時間が費やされたと想像できます。
その祈りは飼うもののいない羊のような群集の救いのためであったのでしょうか。あるいは主イエス様の重い使命と課題を理解しない弟子たちのために祈られたのでしょうか。それともご自身の使命と受けねばならない苦難に集中した祈りだったのでしょうか。
主イエス様の祈りが何であったのかは私たちにはわかりませんが、それはやがて来る別れへの備えであったのかもしれません。主イエス様との別れと再会は十字架の死と復活を通して始めて明らかにされることですが、前もってこのような状況を通して教えられたのかもしれません。
私たちはまたこの短い聖書の記事から弟子たちの気持ちにも心を向けたいと思います。夕暮れが迫る中、弟子たちは湖の上を漂います。それは距離的に主イエス様とはなれるということと共に不安定な心、信仰の状態をも表しています。その中でさびしさ、孤独、恐れが生じてきます。加えて逆風のためますますイエス様との距離は離れて行ってしまいます。そのような恐怖心が湖の上を歩いてこられた主イエス様のお姿を幽霊だと思いおびえてしまう。
「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」恐れとは信仰の正反対のことです。ですからこれはこの場面での主イエス様のメッセージにとどまることなく新約聖書全体を貫いている主イエス様のメッセージでもあります。主イエス様は常に私たちに向けて「安心しなさい。恐れることはない」との御言葉をかけていてくださるのです。
※次回更新は、9月14日(水)頃の予定