静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

“Happy & Joyful Christmas”
司祭 エドワード 宇津山 武志

クリスマスの挨拶といって真っ先に浮かぶのが「メリー・クリスマス」でしょう。なんの疑問もなく使っていますが、“merry”を辞書で引きますと、「陽気な、笑いさざめく、愉快な、おもしろい、笑い楽しむ、笑いと楽しみを誘うような、お祭り気分の、ほろ酔い機嫌で」などと、普段のイメージとはちょっと違った意味が並んでいます。とはいえ、アメリカナイズされた商業主義的な日本のクリスマスの実態をよく表しているとも言えますか…。「救い主が世に降られた(生まれた)」喜びを表現するのであれば、むしろ“happy”(幸福な、幸せな、楽しい、満足な、…に満足して、幸せそうな、うれしそうな、うれしくて、喜ばしくて、…をうれしく思って)とか“joyful”(喜ばしい、うれしい、楽しい、joy + ful = 喜びで・いっぱいの)などのほうがふさわしいでしょう。
ちびっこにお馴染みの“サンタさん”もしかり。サンタクロースは聖ニコラスに由来するとされています。ニコラスは4世紀、小アジア(現在のトルコ)のミュラの主教でした。貧しい家庭の子どもを救うために煙突からお金を投げ入れたという故事によります。それがいつしか「良い子にしていたらプレゼントを届けてくれる人」に変わってしまいました。剣道でご一緒している方がクリスマスだからと子どもにいい袴をプレゼントしたら「なんてひどいサンタさんだ!」と泣いて怒られたとか。「それじゃあ、ぼくもいいサンタさんじゃなかった」と、大笑い。わたしたちは“サンタさん”に自分ではちょっと買えないプレゼントを期待するのではなく、大切なみ子をお送りくださった神さまに感謝して、その愛をわずかでも必要な人に届けられるようになる“しるし”として“サンタさん”に思いを馳せたいものです。
降臨節になり、玄関の正面ののっぽのコニファーにイルミネーションが灯りました。毎晩「きれいだな」と思いながら戸締まりをするのですが、明るさで言えば、道の反対側にあるセブンイレブンの方が明らかに明るいのだけれど、きれいだなとは思いません。司祭は暇人なので、「どうしてきれいなんだろう」などと、どうでもいいことを考え始めます。それはきっと、一つでは字も読めないくらいの小さくかすかな光が集まっているからなのかな、などとブツブツ言いながら司祭館に帰っていきます。それも教会らしくていいな…と。
今年は「集まる」ということの大切さ、素晴らしさを改めて見つめ直す機会をいただきました。「いただいた」と言うには忌まわしいことですが、新型コロナウイルス感染症によるものです。見つめ直すどころではありません。これまで「集まる」のは当たり前だったのですから、初めて気付かされたというべきでしょうか。イースターに前後して三ヶ月間、日曜日に集まることができなかったのです。教会で誰も迎えることのできない日曜日を過ごすことなど想像したこともありませんでした。
いろいろな「当たり前」をちょっと脇へ置いて色々考えさせられた一年を経て、今クリスマスを迎えます。あの寂しく暗いベツレヘムのうま小屋に灯った小さな灯火に心を馳せ、御子のもとに向かいましょう。いつものように、にぎやかなクリスマスはそこになくとも、まことの光、真の喜びがそこにはあるのですから。
幸せと喜びに満ちたクリスマス。感謝とともに。
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