静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

練り直す
司祭 エドワード 宇津山武志

つい先日、新年をお祝いしたばかりのような気がしますが、もう2月。今年の大斎節は2月22日に始まり、4月9日の復活日まで続きます。
大斎節の大きなテーマは回心。神のもとに、まだ見ぬ故郷へ、本来あるべき場所に帰ることです。繰り返し聞かされてきたことですが、わたしたちが常にあるべき場所に留まり続けているかというとそうでないことも認めないわけにはいきません。かといって、留まれない自分を「信仰が足りない」とか「不真面目だ」と責めるべきでもなく、むしろ当たり前として受け入れるべきもので、「わたしは留まり続けている」と思うことの方が恐ろしいですね。
「なるほど、“帰る”、“戻る”、“留まる”ですね。大祭節のテーマにします。」と、ちょっと待ってください!これは年に一度の大斎節中にだけ心がけるものではなく、日々の信仰生活のテーマでもあるのです。
水の洗い(洗礼)によって神の家族の一員に迎え入れられたわたしたちは、そこで神の言葉を聞き(聖書)、この家族のために主が命を献げてくださったことを記憶に留めつつその体と血の養い(聖餐)に与り、神と対話(祈り)する。これがすべてのクリスチャンの生の歩みの骨格をなすものです。それでも罪あるわたしたちは、この家の中にあってなお、自分の小部屋に鍵をかけて閉じこもってしまったり、要らぬ装飾でギラギラと飾り立てたり、奇妙なものを持ち込んで居場所を塞いだりしてしまうのです。まことに厄介な生き物です。
これらすべてを解きほぐしてくださる道は“み言葉に聴く”以外にありません。聞くのではなく聴く。空虚な確信でガチガチに踏み固められた土には水は染み込んできません。
神学校に入ったときに聞かされた言葉を今もよく思い出します。「君たちはここで、これまで作り上げてきたものを一度粉々に砕くことになる。それをもう一度、学びと祈りと共同生活の中で作り直していく。それが神学校生活というものだ」。初めて聞いたときにはなんだかちょっと不快にさえ感じましたが、確かに抵抗しても砕かれていくのを実感しましたし、徐々にそれを組み立て直していくという骨の折れる難題にも取り組まされました。とても大切な営みであったと思いますし、それは神学校を卒業して終わるものでなく、今も日々意識して思い返しています。
神の前に、己を粉々に砕き、神の手の業に委ねる。練り直していただく。自分が思っていたのとは似ても似つかぬものがそこに出来上がるかもしれませんし、それがなかなか受け入れ難く感じることもあるに違いありません。でも、神の業、神の恵みはそこにこそ現れる、そこにしか現れないと思います。み手の業を信じ、差し出し、委ねていきましょう。
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