≪今月の福音書≫ルカによる福音書 10:42
必要なことはただ一つだけ
牧師 司祭 シモン 長野 睦
7月に入りますと、教区等の諸キャンプの案内が次々に届くようになります。今年もいろいろなキャンプが計画されています。ご計画、実施にあたられる方々に感謝し、諸キャンプが神様の祝福と御守りのうちに行われるよう共にお祈りいたしたいと思います。
皆様も、個人的にもご家族でもそろそろ夏の計画をお立てのことと思います。わたしは行楽の計画を立てるのが苦手ですのでいつも感じることですが、いろいろな諸行事を計画し、実施するときに、本来楽しいはずの計画が過密なスケジュールや思わぬ出来事によって、当初考えていた楽しさがどこかにいってしまうことがよくあります。あるいはいろいろなことに気配り心配するうちに本当に大切なことを見失ってしまうこともよく起こります。この特定11の福音書を読むたびにこのことをよく考えてしまいます。
マルタとマリヤの姉妹。主イエス様の一行を彼女たちは家に迎え入れます。マリヤは主の足元に座ってその話に聞き入っており、マルタは「いろいろのもてなしのためにせわしく立ち働いている」私たちの間でもよくある二つのタイプが短い言葉で表現されています。旅を続けてきた主イエス様と弟子たちにとって、このもてなしと奉仕はとてもありがたいものであったに違いありません。
マルタの奉仕と接待はそれ自体決して非難されるものではなく必要なものだったのです。マルタの過ちは、最初は自発的な奉仕の心からの接待であったにもかかわらず、準備の中であれもこれもと必要以上に多くのことに心を配って思い煩い、心を取り乱してしまった。その上自分の苛立ちを主イエス様に対して向け、指図までしてしまったところにあります。この物語を読み、私たちは自分自身のことを振り返ります。そしてわたしたちはマルタのように多くのことに心を配り、思い煩い、心を取り乱した毎日を過ごしていることに気付きます。必要なこと、なくてならないものは何なのかを見失っていることに気付かされます。「主の足元に座って、その話に聞き入る」こと、わたしたちは忙しければ、忙しいほど主の御言葉に聞く。御言葉によって生かされることの大切さに改めて気付きたいと思います。
※次回更新は、9月13日(月)頃の予定