静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

2023年11月の予定

1(水)諸聖徒日 聖餐式(11:00)
 墓参
5(日)聖霊降臨後第23主日(特定26)
 聖餐式(7:30・10:30)
 教会委員会(12:45)
12(日)聖霊降臨後第24主日(特定27)
 聖餐式(7:30・10:30)
 ぶどうの会(礼拝後)
19(日)聖霊降臨後第25主日(特定28)
 聖餐式(7:30)
 み言葉の礼拝(10:30)
 静岡県ホームミッション委員会(14:30 静岡)
24(金)11月度 逝去者記念聖餐式(10:00)
26(日)降臨節主日(特定29)
 聖餐式(7:30・幼児祝福式10:30)
30(木)使徒聖アンデレ日 聖餐式(10:00)
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月報聖ペテロ11月号巻頭言

限りある時を通して
司祭 エドワード 宇津山武志

わたくしごとですが、先日母を天に見送りました。9月の初め、ちょっと普通とは違う腹痛に自分で救急を受診しそのまま入院。それからは検査に次ぐ検査、10月の初めに手術を受け、回復に努めていましたが、中旬に急激に悪くなってしまいました。本人はもう少し前から不調を覚えてはいたのでしょうが、わたくしたち家族にとってはわずか1ヶ月半の闘病、あっという間の別れでした。「もう一度良くなって、みんなにおいしいご馳走を作ってあげたいの」、最後の日、痛みに顔を歪めながら絞り出すように言った言葉です。母の最後の願いでしたが叶いませんでした。
自宅で母の介護を受けて生活していた父は、母の入院のため自宅での生活を続けることができず、やはり入院となりました。毎日「おかあさんはどうだ?変わりないか?」と電話がありましたが、「大丈夫だよ」とだけ答え続けていましたが、最後は両方の病院の許可を得て、母の病床に付き添いました。自分を看取ってもらうと信じていた元気な母に先立たれ、途方に暮れた父は「おれも早くあっちに行きたい」と繰り返します。
「もう少しだけでいいから生きたい」という願いも、「すぐにあちらに行きたい」という願いもかないませんでした。父や母が悪い人だったからその願いがかなわなかったわけではありません。信仰が足りなかったからでもありませんし、そばにいたわたしの祈りが欠けていたからでもありません。「命は神さまのもの」と説いてきた自分の言葉が鋭い剣のように心を抉ります。命は便利な電化製品は自動車のように、必要な時にスイッチを入れ、用が済んだらスイッチを切るというわけにはいきません。命の始まりも、命の終わりも、わたしたちには制御できません。わたしたちは神さまから命を与えられ、いや預けられ、その命をいかようにか生き、そしてその命を神さまにお返しし、死んでいくのです。
母は最後に、病床で洗礼を受け、神の家族に迎え入れられ、神の子として、その命を造り主なる神にお返ししました。母が造り主なる神に、贖い主なるみ子に、助け主なる聖霊に確かな信仰を抱いて旅立っていったかといえば、多分そうではありません。歳をとって自分の最後を意識するようになり、「最後はあなたの好きなように送ってちょうだい」、「うん、わかったよ」と、いつとも知れぬ先の約束を穏やかに交わしていました。そんな思いに至ったのは、わたしが立派な宗教者になったからではありません。聖職になると言ったとき、両親は猛烈に反対しました。わたしの司祭としての四半世紀の生活を通して、母が出会った人たちの信仰を“感じ取る”ようになったからだと確信しています。「道を伝える」ことにおいて、聖職であるかないかは関係ありません。

造り主にかたどられ 命を受けた者は
限りある時を通して 主の栄えをあらわす
(聖歌297)
母は自らの霊、その行方をわたしに託してくれました。「あなたの信じた道をいきなさい。信じ通しなさい。」母から子への、言葉にならない最後の諭しを心に刻んで限りある時を生きていきます。
皆さまのお祈りに心からの感謝を込めて。

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2023年10月の予定

1(日)聖霊降臨後第18主日(特定21)
 聖餐式(7:30・10:30)
 教会委員会(12:45)
8(日)聖霊降臨後第19主日(特定22)
 聖餐式(7:30・10:30)
 ぶどうの会(礼拝後)
15(日)聖霊降臨後第20主日(特定23)
 聖餐式(7:30)
 み言葉の礼拝(10:30)
22(日)聖霊降臨後第21主日(特定24)
 聖餐式(7:30・9:00)
ミニバザー(11:00 〜 14:00)
27(金)10月度逝去者記念聖餐式(10:00)
28(土)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日
 聖餐式(10:00)
29(日)聖霊降臨後第22主日(特定25)
 聖餐式(7:30・10:30)
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月報聖ペテロ巻頭言

まず神の国と神の義を
司祭 エドワード 宇津山武志

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)
これは、マタイ福音書5章から7章の「山上の説教」の1節です。“山の上”とされますが、ガリラヤ湖を望む“なだらかな丘”と言った方がいいでしょう。雨季が開けると一面の青草ときれいな野の花に飾られます。この聖句をテーマにした歌もありますから、馴染み深いみ言葉の一つでしょう。ただ、このようにワンフレーズで記憶に深く刻まれた聖句というのは、前後の関係が忘れられてしまう傾向があります。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、思い悩むな。」というテーマのもとで「空の鳥をよく見なさい。」、「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。」と、これもまた有名なみ言葉を介して、だから何よりもまず「神の国と神の義」を求めることが肝要だと主はわたしたちに語り掛けられるのです。
2000年前、イエスさまのまわりに集い、そのみ声に耳を傾けた人びと、彼らが置かれた状況とわたしたちの置かれた状況。それはおそらく、決定的に違うでしょう。不景気だとか、物価が上がっただとか、悩ましいことがらはつきませんが、それでもわたしたちは、飽食の時代と場所に生きています。「今日は何を着ていこうかしら…」とか「今晩の食事は何にしよう…」とか、ある意味贅沢な悩みです。そうした“贅沢な悩み”をわきへ置き、まずは「神の国と神の義を求めなさい」、それがイエスさまのメッセージの中心にあったことでしょうか。それがまったくなかったというわけではないでしょうが、もう少し信仰の領域に近いところで考えてみたいと思うのです。
エスさまはまず「自分の命のことで…、自分の体のことで…」と話し始められました。命と体、これは切り離す事はできません。ですから、“神からいただいた命をその体をもって生きているあなた”との呼びかけだと理解できます。そして、食べ物、飲み物、着るもの。あなたの生を内側と外側から育て、養い、守るものは何かという問いかけを読み取ることができます。ならばそれがその根源、創り主である神であるべきでしょう。原点とも言えるその信仰がかすんでしまう、何かに置き換えられてしまう。そのことに主は“命の危機”、すなわち創り主から離れた生の生み出す悲惨さです。エルサレムを望み見て主が流された涙の意味もここにあると思います。
神の国と神の義を遠ざけてしまうものとは何か。その反対側にあるものは何か。そう考えてみると少しイメージしやすくなるような気がします。神の国と神の義の正反対にあるもの、それはわたしの国とわたしの義でしょうか。わたしたちにはそれぞれ守りたい世界があります。わたしたちがこうありたいと思う幸せな世界です。丁寧にこしらえた箱庭のような世界です。しかし、その世界の支配者は“あなた”です。わたしたちにはそれぞれ正義があります。これが正しく、あれが間違い。“わたしの正義”は“わたしが正義”と表裏一体です。そこにおいて、“他者の正義”は邪魔なもの、正義の敵。争いはここに生じます。とても立派な正義を語る人がいますが、その人の周りに不穏な争いが絶えないというのを実によく見つけます。
神の国と神の義をまず求めよう。神の前に今静かに思い巡らせましょう。
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2023年9月の予定

3(日)聖霊降臨後第14主日(特定17)
 聖餐式(7:30・10:30)
 教会委員会(12:45)
10(日)聖霊降臨後第15主日(特定18)
 聖餐式(7:30・10:30)
 ぶどうの会(礼拝後)
17(日)聖霊降臨後第16主日(特定19)
 聖餐式(7:30)
 み言葉の礼拝(10:30)
21(木)福音記者使徒聖マタイ日
 聖餐式(10:00)
22(金)9月度逝去者記念聖餐式(10:00)
24(日)聖霊降臨後第17主日(特定20)
 聖餐式(7:30・10:30)
 敬老祝会(礼拝後)
29(金)聖ミカエルおよび諸天使の日
 聖餐式(10:00)

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