静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

まず神の国と神の義を
司祭 エドワード 宇津山武志

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)
これは、マタイ福音書5章から7章の「山上の説教」の1節です。“山の上”とされますが、ガリラヤ湖を望む“なだらかな丘”と言った方がいいでしょう。雨季が開けると一面の青草ときれいな野の花に飾られます。この聖句をテーマにした歌もありますから、馴染み深いみ言葉の一つでしょう。ただ、このようにワンフレーズで記憶に深く刻まれた聖句というのは、前後の関係が忘れられてしまう傾向があります。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、思い悩むな。」というテーマのもとで「空の鳥をよく見なさい。」、「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。」と、これもまた有名なみ言葉を介して、だから何よりもまず「神の国と神の義」を求めることが肝要だと主はわたしたちに語り掛けられるのです。
2000年前、イエスさまのまわりに集い、そのみ声に耳を傾けた人びと、彼らが置かれた状況とわたしたちの置かれた状況。それはおそらく、決定的に違うでしょう。不景気だとか、物価が上がっただとか、悩ましいことがらはつきませんが、それでもわたしたちは、飽食の時代と場所に生きています。「今日は何を着ていこうかしら…」とか「今晩の食事は何にしよう…」とか、ある意味贅沢な悩みです。そうした“贅沢な悩み”をわきへ置き、まずは「神の国と神の義を求めなさい」、それがイエスさまのメッセージの中心にあったことでしょうか。それがまったくなかったというわけではないでしょうが、もう少し信仰の領域に近いところで考えてみたいと思うのです。
エスさまはまず「自分の命のことで…、自分の体のことで…」と話し始められました。命と体、これは切り離す事はできません。ですから、“神からいただいた命をその体をもって生きているあなた”との呼びかけだと理解できます。そして、食べ物、飲み物、着るもの。あなたの生を内側と外側から育て、養い、守るものは何かという問いかけを読み取ることができます。ならばそれがその根源、創り主である神であるべきでしょう。原点とも言えるその信仰がかすんでしまう、何かに置き換えられてしまう。そのことに主は“命の危機”、すなわち創り主から離れた生の生み出す悲惨さです。エルサレムを望み見て主が流された涙の意味もここにあると思います。
神の国と神の義を遠ざけてしまうものとは何か。その反対側にあるものは何か。そう考えてみると少しイメージしやすくなるような気がします。神の国と神の義の正反対にあるもの、それはわたしの国とわたしの義でしょうか。わたしたちにはそれぞれ守りたい世界があります。わたしたちがこうありたいと思う幸せな世界です。丁寧にこしらえた箱庭のような世界です。しかし、その世界の支配者は“あなた”です。わたしたちにはそれぞれ正義があります。これが正しく、あれが間違い。“わたしの正義”は“わたしが正義”と表裏一体です。そこにおいて、“他者の正義”は邪魔なもの、正義の敵。争いはここに生じます。とても立派な正義を語る人がいますが、その人の周りに不穏な争いが絶えないというのを実によく見つけます。
神の国と神の義をまず求めよう。神の前に今静かに思い巡らせましょう。
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