≪今月の福音書≫ ヨハネによる福音書 1:6~ (降臨節第3主日)
私たちも証人として
牧師 司祭 シモン 長野 睦
アドベント・クランツも3本点灯し、まもなくクリスマスを迎えます。ロウソクの点灯が増えるごとにクリスマスの近づいてくることを実感いたします。
クリスマスはキリストが常に私たちと共にいてくださることに改めて気付き、喜ぶ時です。イザヤはこの神共にいますことを創造の喜びと共に力強く歌っていますし、聖パウロも「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい」と勧めています。それは主がすぐ近くにおられるからどんな思い煩いをも捨てて何事についても感謝と喜びを持ちなさいという勧めです。まさしく降臨節から降誕日への期節はこの喜びを共にする期間であると思います。
聖ヨハネの福音書は主イエスの降誕物語は記されていないで「はじめに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった。」とはじめられています。そして言葉は闇を照らす光であると続けられています。そしてこの光を証する洗礼者ヨハネについて記されています。キリストの証人とは、本来十二弟子をはじめとする主イエスの十字架の御苦しみ、復活の目撃者のことですから、洗礼者ヨハネは聖書で言うところの証人とは多少性格が異なるかもしれませんが、主イエス・キリストを救い主として、世の光として証したものとしての役割は大きいものがあります。証人とは本来事実の目撃者、あるいは事実の体験者のことです。そして私たちも広い意味で言えばこの証人として召しだされています。
クリスマスはこのことの体験であり、私たちも主イエスが神の御子として、人間として受肉されたということ、人間のため、私たちのためにこの世にあらわれてくださったことを感謝し、人々に伝えていく者になりたいと思います。
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