静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

主は種を蒔く

司祭 エドワード 宇津山 武志

「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテⅡ4:2)
自らの終わりのときが近づいていることを悟った聖パウロを差出人として、「愛する子テモテ」(同1:2)に送った励ましの手紙というかたちを通して、キリストに従う者、ことに宣教者のありようについて教える初代教会の「牧会書簡」と呼ばれる文書の一節です。ちょっと持って回ったような紹介の仕方ですが、聖パウロの真正な書簡であるとする説と、聖パウロの覚書などをもとに後の世代の人が書いたものという説、また、パウロの影響下にある人がその名によって書いたものとする説など、諸説あるからです。ただ、たとえ真正のものでないとしても、ここに語られることの価値が減ずるわけではありません。特に、冒頭に掲げた箇所は、聖職の道を歩む者にはその訓練の過程から折りに触れて思い起こさせられ、しっかりと染み込んでいる言葉でもあります。「どんなときでも福音宣教に励みなさい」というメッセージをわたしたちは「福音の種蒔き」という言葉で受け止めもします。
そんな中、聖霊降臨後第6主日(特定10)の福音は「種を蒔く人のたとえ」(マタイ)でした。これもとても有名なお話で、幼児向けの歌にもなり、映像としてもイメージしやすい。ただ、あまりにわかりやすいお話というのは、直感的に理解したような気になって、あまり深掘りをしないという危うさを孕みます。難解な箇所の方がかえって注意深く読み込んで「宝石」を掘り当てたりもいたします。
「種を蒔かなくちゃ」、「種を蒔きましょう」、それはそれで大切なことなのだけれど、この日のお話で、種を蒔く農夫は神さまであるという当たり前のところに引き戻されます。ですから畑を耕し世話をするのも神さまです。(主日の説教でも触れましたように)当時のパレスチナの農法は、わたしたちのイメージする種まきとは随分と異なります。幼稚園ではひまわりの種を埋めて育てたりいたしました。先生たちはまず草を取り、石を取り除き、肥料をやり、ひまわりを育てるのに最適な畑(土)を作ります。そこに子どもたちは可愛らしい人差し指で穴を作り、ひまわりの種を一粒、大事そうに埋めるのです。土をかぶせて水をやります。パレスチナの農業は、(昨年の収穫を終えた)畑にジャンジャンと種を巻きます。草も生えていますし、石ころも混じっています。昨年の農作業で踏み固まってしまった道もあります。そこを神さまは実り豊かな畑にしようと、草を取り、石を取り除き、土を返して水をやりと、手入れをなさいます。そうして手入れをされる土地こそがわたしたちなのです。石もあり、いばらも生い茂り、踏み固められたのがわたしたちです。わたしにある石とはなんだろうか、いばらとはなんだろうか、どんなところが踏み固められてしまっているんだろうか、そう考えるときに、わたしたちは自分自身を神さまの「耕す手」に差し出すことができる。畑への変容・成長が始まるのです。

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