静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ巻頭言

布にくるんで飼い葉桶に寝かせた
司祭 エドワード 宇津山武志

世の救い主イエスは今からおよそ二千年前、ユダヤベツレヘムという町でお生まれになりました。それが自宅でも病院でもなく、馬小屋(家畜小屋)であったということも多くの人が知っています。幼な子イエスは「布にくるんで飼い葉桶に寝かせ」られました。この季節になると飾られるクリブは、聖なる幼な子の誕生の出来事をほのぼのと思い起こさせてくれます。クリスマスがもたらすこのなんとも言えない暖かさとは裏腹に、み子がそのような場所で生まれることになったのが「(ローマ)皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録をせよとの勅令が出た」からであり、そのためにはヨセフとマリアが暮らすガリラヤの町ナザレから「自分の町」(いわば本籍地)へと移動しなければならなかったから、臨月だからと猶予されるような優しさや暖かさなどはありませんでした。馬小屋というのもお産の場所としては甚だ不適切で不衛生でした。聖地巡礼ベツレヘムの聖誕教会は、その場所が大切にされていますが、馬小屋とは、わたしたちが想像するのとは随分違う、岩をくり抜いたような場所でした。飼い葉桶に寝かせられたのは、他に「泊まる場所がなかった」からです。
この季節になると、わたしたちはいつになくはっきりとしたテーマを持って日々この出来事を黙想します。そうしているうちに一つのことが頭に浮かびました。それは、「(イエスの)遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだ誰も葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた」という出来事です。とても似ているのです。イエスさまの遺体を引き取ったのはアリマタヤ出身のヨセフという人でした。彼は議員で「善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった」、なぜなら「神の国を待ち望んでいた」からだと言います。とても勇気のいる行動です。イエスさまの遺体を渡してほしいとピラトに願い出ました。「なんだ、お前もあいつの仲間だったのか。こいつを捕らえて殺してしまえ」となることだってあったでしょう。マリアさまの不意の受胎を知ってなお、父となることを決意し、ベツレヘムへ、エジプトへと幼な子の命を守り抜いたヨセフと同じ名前なのは偶然でしょうか。バチカンサン・ピエトロ大聖堂のマリアさまは、幼な子でなく、十字架上に息を引き取ったイエスさまを抱いています。
布に包む、そして箱なり場所なり、然るべく納める。それは、とても大切にしていることを意味します。今でも貴重な花器や茶道具はそのようにして管理されています。マリアとヨセフによって大切に迎えられ、マリアと(アリマタヤの)ヨセフによって大切に葬られたイエスさまですが、そのご生涯のすべてが“ぞんざいに”扱われたことを聖書はその全編を通して語っています。
今日、イエスさまを布で包み、大切に寝かせ納める場所はわたしたちの人生です。


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