静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報8月号巻頭言

主よ、わたしをあなたの平和の器にしてください
~ Make me a channel of your peace ~

司祭 エドワード 宇津山武志

8月は横浜教区が定めた「平和宣教月間」です。以前書いた記憶がありますが、改めて「主よ、わたしをあなたの平和の器としてください 〜 Make me a channel of your peace ~」をテーマに取り上げたいと思います。
「平和の器」、以前は「道具」と訳されていたこともありました。英語でも“instrument”(道具・楽器・手段)という言葉が用いられることがありますが、ここでは“channel”、外来語の“チャンネル”です。真っ先に浮かぶのはテレビのチャンネルですが、“channel”を辞書で引くと、最初に出てくるのが、「水路」、「運河」です。他に、「海峡」、「水道管」、「経路」、「道筋」、「媒介」など。ですので、ここでは、わたしをあなたの平和を流す“運河・水路・水道管”に、あなたの平和を運ぶ“経路・道筋・媒介”にしてくださいというふうに訳せます。
わたしたちは、神の平和のチャネルであること、神の平和を必要とされる場所へ流し届ける、そのための運河・水路・導管にしていただくことを祈ります。川は高いところから低いところへ勝手に流れて海に注ぎますが、運河は本来、川のないところにその水を運びます。水道管もそうですね。わたしたちは川に水を汲みに行くかわりに、必要なところに備えられた水道管に接続された蛇口をひねっていつでも水を飲むことができるわけです。当たり前に使っていますが、考えてみたら便利なことこの上ありません。アフリカでは水場に水を汲みに行くのが女性や子供の仕事です。生きるために必要な水は担うにはとても重い。女性や子供にとっては特に。そのために彼らは1日6〜8時間も費やすとも聞きました。
主イエスさまとサマリヤの女のエピソードが思い出されます。「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない。わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る。」女は言った。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください。」(ヨハネ4:14〜15)
わたしたちが神の平和のチャネルであることはとても大事なことだとわかります。しっかり繋がっていなかればどこかで水漏れを起こして家を台無しにしてしまいます。途中で何かを混ぜるべきでもありません。変な味をつけたり濁らせたりと。
神の平和を運ぶ器としてのわたし。どのような姿を思い浮かべるでしょう。わたしたちの心にある、神の愛を傷つける様々な想いは、コレステロールが血管を詰まらせるように、チャネルを狭くしてしまいます。神の裁きへの恐れは、チャネルを薄く壊れやすいものに変えてしまいます。神の愛への喜びと感謝、そして賛美こそが、神の平和をわたし自身へ、愛する人へ、家族へ、そして世界のすみずみへと行き渡らせる器とするのです。まずは自分自身から。神の愛に潤され、平和の器とされることを祈り、この夏を過ごしましょう。
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