静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

安息日…律法のこころ

安息日…律法のこころ」

牧師 司祭 エドワード 宇津山 武志
  
安息日を覚えて、これを聖とせよ」 神がモーセを通してその民にお与えになった十の戒めの一つ。とても大切な掟です。わたしたちはこの大切な掟をどのように守るべきでしょうか。
まず掟と聞いてどんな印象を抱くでしょう。あるべき姿を念頭に、「…せねばならぬ、…してはならぬ」の一覧表にびっしりと。単純にそんなものが思い浮かびます。“ルール”とか“決まり”といえば、ちょっとくらい破っても「まあ、今回だけは」と言い訳できそうですが、掟となると、決して破ってはいけないもののように響きます。神さまの掟ですから、守れば祝福をいただけますが、そのかわり行動に制約を受け、自由を奪われる、そんなイメージです。
エスさまは、よく「律法・掟」をきっかけにファリサイ派の人々と論争になりました。特にこの「安息日」の規定について。安息日に麦の穂を摘んだ(収穫という労働にあたるではないか!)、病の人を癒した(癒しは労働にあたるではないか!)などと。
安息日を覚えてこれを聖とせよ」。これは神の天地創造のみ業にさかのぼるものです。主なる神にならって、人も休むように。こうして人間の働きに豊かに報いる神の恵みを安息日に休むことを通して実感しなさい、そして感謝しなさい。それを、人をがんじがらめに縛って、守るか守らないか、裁きの日、恐怖の日に変えてしまってはいいけない。
神さまは休めと言われます。それは、あなたがかつてエジプトの国で奴隷であったけれど、主なる神の力あるみ手とみ腕を伸ばして導き出した、救い出した、解放した。安息日には仕事を離れて、神さまの恵みにしっかりと心を向けなさい、生かされているんだということに想いを寄せて感謝しなさい。そうおっしゃるのです。
 しかし、人がそれを変えてしまいました。神さまのお心を差し置き、押しのけて、律法を一番真ん中に持ってきてしまうのです。そして人を律法の奴隷となってしまいます。まったく逆の方向に進み出してしまうのです。
エスさまは律法の原点を回復しようとなさったのです。すべてを神さまへの「感謝の器」としなさいと。ところが欠けたところの多いわたしたちは、その律法さえもわたしたちの勝手な思いで裁きの道具に変えてしまいます。神さまが深い愛をもって差し出してくださったものを、ゴツゴツとした石に変え、投げつけるのです。
エスさまはこの世で尊いご生涯を送られました。そこで出会い関わった人、彼らに向けたその目、その手、その足。わたしたちは常にそこに帰りたいと思います。

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