静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

大斎節第4主日の説教にかえて

「(わたしは)人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」(サムエル記上16:7)
サウル王の後継者を得るために、ベツレヘムのエッサイのもとに遣わされたサムエルが、その子たちの中から主が選ばれた者に油を注ぐという故事を記した今日の旧約聖書の一節です。サムエルはエッサイ一家との会食で、いかにも次の王に相応しそうな息子に目と心を奪われ「これこそ主が選ばれたに違いない」と思うのですが、神さまはそれを否定なさいます。冒頭に掲げたのはその言葉。こうして、かの有名なダビデ王が選ばれることになるのですが、この一節を読むたびに、サン=テグジュペリの名著『星の王子さま』の「心で見なければものはよく見えない。大切なものは目には見えない。」という有名なキツネの言葉を思い出します。この言葉ばかりが一人歩きしている感もありますが、全編を通じてさまざまな素材の描写によって繰り返されるテーマです。少し前に、近頃は何か買って欲しいときにしか一緒に出かけてくれなくなった娘を連れて箱根にある星の王子さまミュージアムに行ったので、今年は特に鮮明に浮かんできます。この原稿を書くために、本棚から埃をかぶったこの小さの本を引っ張り出し、もう一度読み直してみました。すると随所に聖書を背景とした物語が見出されます。それについてはまた機会があれば分かち合いましょう。今日は一つだけ。
冒頭で、6歳のサン=テグジュペリは、原生林のことを書いた本の中で出会った「猛獣を飲み込む大蛇」の絵に触発され、大きな象を飲み込んだ蛇の絵を描いて大人に見せたときのことを語ります。彼が「この絵こわい?」と聞くと、大人は「どうして帽子がこわいの?」と聞き返すというのです。サン=テグジュペリは、“どうしてこれがわからないかな〜”と思いながら、今度は大人にもわかるように大蛇のお腹の中が分かるようにもう一枚の絵を描いて見せます。ところが大人は答えます、「なかが見えようが見えまいが、ボア(大蛇)の絵はもう置いときなさい」と。
“おとな”は、一瞥してそれがなんであるかを彼の経験と知識から判断し、次へと進んでいきます。そうして、彼が見たもの、出会ったものの中にある本質であるとか意味といったものに気づかずに通り過ぎてしまうのです。
エスさまの時代、正統派のユダヤ教徒にとって、神さまとの“正しい”関係のために必要不可欠であったのが律法であり、その遵守でした。しかし、そればかりに注意・関心が向かい、その中にある、「神さまが人間をどれだけ大切に思っておられるか」という核心に目が向かない、イエスさまはそれを炙り出し、救いようのない人間の姿を露わにされました。
今日の福音〔ヨハネ9:1-13, (13-27), 28-38〕で、イエスさまは生まれつき目の見えない人の目を開かれました。それはわたしたちです。わたしたちの目は閉ざされて、見るべきものを見ることができません。目が見えない、それ自体辛いことですが、この人は福音書の他の癒しの物語の登場人物のように「見えるようにしてください」と叫んだわけではありませんでした。イエスさまが近づき、その目に手を触れ、見えるようにされたのです。「イエスは地面に唾をし、唾で土をこねてその人の目にお塗りになった。そして、『シロアム――「遣わされた者」という意味――の池に行って洗いなさい』」(9:6-7)。見えるようになった人を見た人々は、彼を見て、「別人だろ?」と、目の前に起こっている出来事に目も向けず、心も開きませんでした。それもまたわたしたちの姿です。
さて、彼自身も彼の両親も、どうして見えるようになったのか、正直なところよく分かっていませんでしたが、ファリサイ派の人々に問い詰められてこう答えます。「ただ一つ知っているのは、目の見えなかったわたしが、今は見えるということです。」しかし彼らは目の見えなかった人が見えるようになったことを喜ぶのではなく、「追い出し」ました。ここにもまた、わたしたちの姿を見出します。
わたしたちは毎朝、「主よわたしたちの口を開いてください」(詩51:15)と唱えて一日を始めますが、同時に、わたしたちの目を、耳を、心を開いていただけるように祈ります。そこにイエスさまのお姿を見、喜び、歌い、神さまからお預かりしている命を精一杯生きるのです。

追伸
新型コロナウイルスの感染拡大防止のために外出を控えている方、久しぶりに『星の王子さま』を読み直してみてはいかがですか? 黙想の良き友となるはずです。
どうぞ良い一週間を!
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