1(日)聖霊降臨後第18主日(特定21)
聖餐式(7:30・10:30)
教会委員会(12:45)
8(日)聖霊降臨後第19主日(特定22)
聖餐式(7:30・10:30)
ぶどうの会(礼拝後)
15(日)聖霊降臨後第20主日(特定23)
聖餐式(7:30)
み言葉の礼拝(10:30)
22(日)聖霊降臨後第21主日(特定24)
聖餐式(7:30・9:00)
ミニバザー(11:00 〜 14:00)
27(金)10月度逝去者記念聖餐式(10:00)
28(土)使徒聖シモン・使徒聖ユダ日
聖餐式(10:00)
29(日)聖霊降臨後第22主日(特定25)
聖餐式(7:30・10:30)
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月報聖ペテロ巻頭言
まず神の国と神の義を
司祭 エドワード 宇津山武志
「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。」(マタイ6:33)
これは、マタイ福音書5章から7章の「山上の説教」の1節です。“山の上”とされますが、ガリラヤ湖を望む“なだらかな丘”と言った方がいいでしょう。雨季が開けると一面の青草ときれいな野の花に飾られます。この聖句をテーマにした歌もありますから、馴染み深いみ言葉の一つでしょう。ただ、このようにワンフレーズで記憶に深く刻まれた聖句というのは、前後の関係が忘れられてしまう傾向があります。「自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、思い悩むな。」というテーマのもとで「空の鳥をよく見なさい。」、「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。」と、これもまた有名なみ言葉を介して、だから何よりもまず「神の国と神の義」を求めることが肝要だと主はわたしたちに語り掛けられるのです。
2000年前、イエスさまのまわりに集い、そのみ声に耳を傾けた人びと、彼らが置かれた状況とわたしたちの置かれた状況。それはおそらく、決定的に違うでしょう。不景気だとか、物価が上がっただとか、悩ましいことがらはつきませんが、それでもわたしたちは、飽食の時代と場所に生きています。「今日は何を着ていこうかしら…」とか「今晩の食事は何にしよう…」とか、ある意味贅沢な悩みです。そうした“贅沢な悩み”をわきへ置き、まずは「神の国と神の義を求めなさい」、それがイエスさまのメッセージの中心にあったことでしょうか。それがまったくなかったというわけではないでしょうが、もう少し信仰の領域に近いところで考えてみたいと思うのです。
イエスさまはまず「自分の命のことで…、自分の体のことで…」と話し始められました。命と体、これは切り離す事はできません。ですから、“神からいただいた命をその体をもって生きているあなた”との呼びかけだと理解できます。そして、食べ物、飲み物、着るもの。あなたの生を内側と外側から育て、養い、守るものは何かという問いかけを読み取ることができます。ならばそれがその根源、創り主である神であるべきでしょう。原点とも言えるその信仰がかすんでしまう、何かに置き換えられてしまう。そのことに主は“命の危機”、すなわち創り主から離れた生の生み出す悲惨さです。エルサレムを望み見て主が流された涙の意味もここにあると思います。
神の国と神の義を遠ざけてしまうものとは何か。その反対側にあるものは何か。そう考えてみると少しイメージしやすくなるような気がします。神の国と神の義の正反対にあるもの、それはわたしの国とわたしの義でしょうか。わたしたちにはそれぞれ守りたい世界があります。わたしたちがこうありたいと思う幸せな世界です。丁寧にこしらえた箱庭のような世界です。しかし、その世界の支配者は“あなた”です。わたしたちにはそれぞれ正義があります。これが正しく、あれが間違い。“わたしの正義”は“わたしが正義”と表裏一体です。そこにおいて、“他者の正義”は邪魔なもの、正義の敵。争いはここに生じます。とても立派な正義を語る人がいますが、その人の周りに不穏な争いが絶えないというのを実によく見つけます。
神の国と神の義をまず求めよう。神の前に今静かに思い巡らせましょう。
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月報聖ペテロ9月号巻頭言
聖公会であること
司祭 エドワード 宇津山武志
8月12日(土)横浜聖アンデレ教会で、横浜教区、神奈川県東部の諸教会からなる「東神宣教懇談会」主催の講演会、「ランベス会議の学び(前編)」が行われました。講師は中部教区主教で立教大学総長の西原廉太主教。午前中、所用で横浜にいたこともあり、せっかくの機会と出席してきました。
ランベス会議とは、全聖公会の主教が10年に一度、カンタベリー大主教の招待により一堂に会し、聖公会の課題について話し合われるものです。第1回は1867年。カンタベリー大主教のロンドンの公邸である「ランベス宮殿」で行われたことから、以後ランベス会議と呼ばれますが、アングリカンコミュニオンの成長とともに主教の数が増え、手狭となったため、現在ではケント大学を主な会場として行われています。今回のテーマは2022年に開催された第15回会議についてでした。本来2018年に開催されるはずでしたが、性の問題についての対立から調整がつかず延期、さらにコロナ禍によって延期され4年遅れの開催となりました。簡単に言うと、性の多様性を積極的に捉えようとする英米加を中心とする教会と、聖書に忠実であるべきとするアフリカを中心とする教会の対立です。下は今回の集合写真、どこに誰が写っているのかさっぱりわからないほどですが、実は、アフリカを中心とする反対派の主教たちはこの会議への参加を辞退しました。
神学校では聖公会の歴史を学ぶときに必ず触れられるランベス会議です。今回西原主教さまのお話をうかがって、聖公会がセンシティブな問題となんとかかんとかやりくりしながらの歴史であったことを改めて思い出しました。第一回の主な議題は、アフリカの宣教地(主に英国の植民地)における「一夫多妻制」とどう関わるかということでした。近年「多様性」という言葉がよく用いられます。それは良いことで必要なこととして。しかし、教会の世界への拡がりにおいて、その文化の多様性とは常に緊張感を伴いました。今、その多様性は変化する時代にも強く色づけられます。今回のランベス会議には「神の世界のための神の教会」というタイトルが付されました。一方で、この会議を拒否した教会は「変わりゆく世界に変わることのない福音を」をテーマに、協働して福音宣教に努めています。わたしたちは、どちらが正しい・どちらが間違いと性急に判断すべきではありません。聖書の中に神さまの深いみ思いを探ね、謙虚に、穏やかに歩んでまいりましょう。主の平和、神に栄光!