静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ7月号巻頭言

窓の外は雨
司祭 エドワード 宇津山 武志

「令和3年7月豪雨」によって被災された方々、ことに熱海で発生した土石流の犠牲者・被災者を心に留め、心からお見舞い申し上げますとともに、神なる主の慈しみと守りをお祈りします。
季節は梅雨。雨が降らないのは困りますが、目覚めたときに外から聞こえてくる雨音は、あまり気分の良いものではありません。20年前の牧師館は、大雨のたびにどこかから雨漏りがしないかと気が気ではありませんでしたが、今は安心して過ごせます。出かけるときには傘が手放せませんが、自動車の移動が増え、近所のスーパーくらいでしたら濡れた傘を畳んで持ち歩くのも煩わしく、わずかの距離ならえいやっと走って済ませます。そんな傘さえも、透明のビニール傘が主流となりつつあります。
少し喩えも込めて言えば、外でどんなに強い雨が降っていようとも、家の中にいれば、傘の下にいれば、わたしたちは濡れることはありません。エアコンの効いた部屋で美味しいケーキと紅茶でのんびり快適な午後を過ごせるのです。そうして次第に、わたしたちは家に守られていること、傘に守られていることを忘れ去ります。
ひとたびこの家から、傘の下から一歩外へ踏み出すと、頬を打つ雨粒に「あっ、雨だったんだ」と改めて気付きます。やがて雨はわたしたちを頭の先から足の先までずぶ濡れにし、体温を奪い、激しい疲労に襲われます。さらにこうして弱った体を病が襲うこともあるでしょう。「家に戻らなきゃ」と振り返りますが、強い雨で視界が良くありません。どうしたことでしょう、傘をさそうにも、わたしの手にさしていたはずの傘もない。さっきまであったはずなのに…。
窓の外の雨をぼーっと眺めながら、家とは父なる神さまの懐、イエスさまは傘、あるいは傘をさしてくださる方なのではないかな…、そんなふうに感じました。雨に濡れないようにと自分でさしている気になっていた傘は、実は骨しか残っていないような破れ傘だったのかな…。本当にわたしを雨から守っていたのは、後ろからそっと差し出される、なんの飾りもない、まさに“透明なビニール傘”だったのでしょう。だから気づかない。ご自分の身を十字架の上に献げてくださったイエスさまは、ずぶ濡れになってもなお、傘を手にわたしたちを守ろうとしてくださるに違いありません。
大きな災害の直後ということもあって、雨が恨めしく思われますし、そこからの守りに心が向かいますが、雨は神の恵みの担い手でもあります。わたしたち自身の体の6割以上を占めるのは、雨と同じ“水分”です。日照りが続いたときには「少しでも良いから雨が降らないものか…」と思い願ったはずですが、降れば降ったで不平をこぼす。人間というのはなんとも厄介な生き物ですね。でも神さまは、人間のこのうつろいの中に神を思うことを通してわたしたちを成長させてくださります。どんな状況にあっても神さまとお話しする毎日でありますように。
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