静岡聖ペテロ教会(日本聖公会横浜教区)Shizuoka St.Peter's Anglican Church, Shizuoka

TEL054-246-8013 早朝聖餐式 午前7時30分~、午前10時半~ Regular Sunday Services 7:30a.m. / 10:30a.m Eucharist

月報聖ペテロ5月号巻頭言

エマオへの道
司祭 エドワード 宇津山武志

復活節第三主日聖餐式聖書日課福音書ルカによる福音書から、エマオへ向かう二人の弟子への復活の主の顕現の記事です(ルカ24:13~35)。わたくしの先入観があるかもしれませんが、司祭たちはこの記事から“パンを割くみ姿のうちにご自身を顕にされる主”というイメージで、すっ〜と聖餐式と結びつけて考えてしまうように思います。今年、改めてこの箇所を読んでいて、エマオへの道を歩く二人の弟子の姿が映像として浮かんできました。
エルサレムから60スタディオンほど離れたエマオという村」は、実は今もどこかはっきりとわかっていません。60スタディオンは11~2kmですから大人の足で3時間ほど。エマオは“温かい井戸”を意味するとされています。「ちょうどこの日」とは、まさに主のご復活の日のことでした。彼らはどういう目的でその道を歩んでいたのでしょう。彼らは「この一切の出来事」、すなわち主のご受難から今日までのことを「話し合い論じ合って」いました。やがて人知れず現れた旅の同行者の問いかけに二人は「暗い顔をして立ち止まった」といいます。「二人の目は遮られ」、歩みをともにすることになった人が誰なのかわかりませんでした。
「エマオという村へ向かって」という言葉に気を取られてしまいますが、彼らはエルサレムを後にして、神の都、主の復活の出来事に背を向けて旅を始めたということです。エマオに着く頃には「もう日も傾いて」いますから、エルサレムを出発したのは復活の日の午後遅めの時間ということになりますか。彼らの言葉から、彼らの関心が、“主の遺体が消えてしまったこと”だったといえます。天使たちに「イエスは生きておられる」と聞いた婦人たちは「遺体を見つけずに帰って来た」のであり、それを聞いた仲間の者も何人かで墓に行きますが、彼らの関心はやはり主の遺体で、それが「見当たらなかった」とがっかりして戻って来ました。トマスばかりが悪く言われますが、天使たちがなんて言ったって、みーんな“主の死”で思考が止まっていたのです。その日、弟子たちの群れにあったのは喜びでなく混乱、当惑でした。
困惑する弟子たちの群れ、仲間と別れ、彼らは復活の主に背を向けて暗い気持ちで歩を進めていました。そのような彼らに、「イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた」のです。「おい、どこへ行く!なんで信じないんだ」などとはおっしゃいません。「何を話し合っているんだい」と、言葉をかけてくださるのです。そして彼らの話に耳を傾けられる。やはて口を開き、み言葉で彼らの心に火を灯す。主の死で停止し、暗く、固く、冷たく、小さく萎んでいた彼らの心を燃え立たせてくださるのです。彼らはついに、パンを割くみ姿の中に生ける主を見出し、「時を移さず出発」する、神の都へと再び歩み始めたのです。
弟子たちの姿が心に浮かびます。エルサレムを出たとき、彼らは肩を落とし俯きとぼとぼと足を進めていた。しかし再びエルサレムへ向かう彼らは顔をあげ、眼を前に向け、大股で歩んでいたに違いないと。
主とともに歩む。それはしっかりとした信仰の歩みのように思い込んでいますが、希望を失い、神に背を向けて歩んでいるときでも、すーっとそばに来て一緒に歩み、わたしたちの過去へ向かうくらい心の声に耳を傾けてくださるのです。
“喜びの知らせ”がここにあります。

静岡聖ペテロ教会HPへ
facebook twitter